【タイ】タイ反政府デモを考える。【バンコク】

 現在、海外に亡命中の元首相タクシン氏の恩赦を巡って激化したタイの反政府デモ。現地から見たデモの姿と、その内幕について考えてみたい。

 ・現在(2013年12月14日)のデモ

 12月8日の夜から本格的にはじまった反政府デモの決起集会は翌9日には20万人を超える巨大な人の群れで首相府を完全に包囲した。その夜には反政府デモの主導者とされる元副首相のステープ氏がデモの継続を演説で表明。反政府デモの本拠地となっている民主記念塔付近の道路は14日現在でも封鎖され、いくつものテントや炊き出し、夜になれば祭りのように出店が並び、コンサートも開かれている。 今回のデモの特徴は、デモ隊もそれと対峙する警官隊や治安維持隊の両者が、2010年の90名ほどの死者を出した事態を教訓に、非常に平和的に行われていることにある。
 一時は死者が出て、それを機に事態は悪化するかとも思われたが、3名の死者のいずれもデモ隊と警官隊とによる争いのものではなく、あくまで突発的なデモグループ間での諍いを原因としたため、大事には至っていない。

 

 ・反政府デモの原因

 デモは民主主義におけるひとつの権利である。その点においてはタイで起こっていることは、バンコク市民が民主主義的な権利を行使しているにすぎないと考えることもできるし、実際に今回のデモを主導する人々のいい分も同じである。ただこのデモがクーデターというものにある場合、それは健全な民主主義の形とは言えない。しかもタイの場合は80年代にはクーデターが日常的な政治光景であり、当然のことながら政治の不安定な土壌に安定した経済は築かれない。
 90年代中頃に実業家のタクシン氏が経済界の論理を政界に引用し、地方重視の政策が政治的な安定をもたらすとともにタイ経済の発展にも大きく寄与した。 
 そしてすでにこの頃からタイの政治的矛盾は至る所で吹き出していた。長らくタイとはバンコクのことであり、タイの未来とはバンコクが決めてきた。しかしタクシン氏とそのグループは、地方、とりわく北部地域での絶大な支持を地盤にして国政を支配した。これを旧来の政治意識を持つ政界、財界、軍、裁判所などの有力者は快く思わなかった。民主主義では数の論理でバンコクは少数派になる。この時点ですでにバンコク対地方の対立構造は確立されており、タイの政治や経済の一大中心地のバンコクで、選挙という民主主義の基本が尊重されないという異常な土台ができ上がった。

 

 ・国王の健康問題

 タイにおいて国王の人気は絶対である。12月5日の現国王の誕生日にはデモ隊も活動を一旦停止し、国王の誕生日を祝った。そして反政府デモにとって国王の存在は、デモを行ううえでの大変重要な理由とされている。
 これまではタイの地方において国王の人気は絶大であった。タイで映画を見れば、本編の前に国王を賞賛する2分ほどの映像が流れるが、それは若い頃の国王が農村を自らの足で回る姿がメインとなっている。農村とバンコクの乖離が激しくなる中、国王は常に農村を気にかけていた。
 しかし国王の高齢化にともない、その地方での影響力を獲得したのがタクシン氏だった。バンコクの人々、特に国王を支持する人々はこのタクシン氏の姿を反王室的であるとした。民主主義を無視するようなクーデターとその後に三度繰り返された国政選挙の無効化という裁判所判断も、国王の名の下に正当化されてきた。
 現在、国王は86歳。国王の健康問題が心配されはじめた時期と、タイの政治が暗転しはじめた時期は一致する。跡継ぎ問題では、素行に問題のあり国民からの人気が薄いとされる長男と、国民からの絶大な人気に反し未婚の次女のどちらが世継ぎをされることになる。どちらにせよ、現国王のようにタイの矛盾を、その存在のみで抱え込むことは難しいだろう。

 

 ・デモの今後

 ステープ氏らが現政権に求めていることは、総選挙を経ない形での、角界の代表者らによって政治的に組織化された人民議会への権限移譲。総選挙の結果としてのインラック政権は来年2月に行われる総選挙で民意を問いたいところだが、ステープ氏はそれも認めていない。もしステープ氏が求める形での政権移譲がなされれば、それはタイの民主主義は大きな岐路に立つことになり、外国からの評価も著しく悪化することも予想される。
 またデモの長期化を懸念する声は、バンコク内からも徐々に噴出しており、今後も強弁な態度をステープ氏が取り続ける限り、反政府デモの在り方そのものに疑問を抱く人々を増えるだろう。

 

 

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