映画『マグニフィセント・セブン』レビュー:過去の傑作を塗り替える「ブラックスプロイテーション」

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黒澤の『七人の侍』を西部劇に移した『荒野の七人』を『イコラザー』のアントワーン・フークア監督とデンゼル・ワシントンのコンビでリメイクする『マグニフィセント・セブン』のレビューです。突然やってきた採掘業者によって占拠された町を救うために集まった風来の七人の男たちによる決死の戦いを描く。

『マグニフィセント・セブン』

全米公開2016年9月23日/日本公開2017年1月27日/アクション/133分

監督:アントワーン・フークア

脚本:ニック・ピゾラット、リチャード・ウィンク

出演:デンゼル・ワシントン、クリス・プラット、イーサン・ホーク、ビンセント・ドノフリオ、イ・ビョンホン

レビュー

黒澤の『七人の侍』とそのリメイク『荒野の七人』を、『トレーニング・デイ』『イコライザー』のアントーワン・フークア監督とデンゼル・ワシントン主演でアレンジした 『マグニフィセント・セブン』は、大作映画であり、傑作西部劇のリメイクでありながらも、19世紀西部を舞台にした「ブラックスプロイテーション」になっていた。ストーリーはオリジナルとほとんど同じだが、鑑賞後に受け取る印象は『荒野の七人』と全く違っている。

主人公の凄腕ガンマンをアフリカ系アメリカ人に置き換えたことが注目される本作だが、その変更とはただ人種設定をいじったというだけでなく、物語の印象そのものに大きく影響を与えることになった。

主に黒人の観客をターゲットに、黒人俳優たちが活躍する1970年代のブラックムービーのことを「ブラックスプロイテーション」と呼ぶが、それはひとつジャンルというよりも映画の作法と表現したほうがいい。白人が圧倒的な映画界において「主役=(善人)=白人」というステレオタイプは維持され、たとえニューシネマというムーブメントが起きたところで、善人の部分がかっこいい悪に置き換わっただけだった。「ブラックスプロイテーション」とはそういった白人主義的な映画の作法を、黒人を主体に置き換えたものだ。低予算で観客は黒人とマーケットも限定していることから、「黒人=善人=かっこいい=主役」という設定は強化され、悪人は白人の男で、最終的に黒人主人公の手で殺されることになる。

この作法は広く「ブラック・パワー・ムービー」にも見られるが、「ブラックスプロイテーション」の場合は設定が飛び抜ければ飛び抜けるほど、復讐の爽快感は高くなる一方で、逆に現実に引き戻された時の虚脱感も強くなる。

本作も、圧倒的な悪を撃つ、という物語であるのに対して西部劇特有の乾いた空気感はなく、どこまでも湿っている。その感覚はタランティーノが黒人ガンマンを主役にした西部劇『ジャンゴ 繋がれざる者』の爽快感よりも、その原風景となったパム・グリア主演の『コフィー』といった「ブラックスプロイテーション」とずっと近い。

劇中の悪は撃てても、現実世界の悪を打ち殺すことはできない。黒人たちのささやかな息抜きとして1970年代に多く作られた「ブラック・エクスプロイテーション」の根源的な物悲しさが本作にもあった。

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傑作をリメイクする意義とは?

舞台は19 世紀後半の西部。慎ましい田舎の町ローズ・クリークは、採掘業を営む冷血な男バーソロミュー・ボーグの暴力に支配されてしまう。そしてボーグは町の教会を燃やし、抵抗した村人を容赦なく撃ち殺した。その時に夫を殺されたカレンは、全財産を持って敵討ちを担ってくれるガンマンを探しに出かける。

その途中でカレンは、カンザス州リンカーン群の保安官である凄腕の黒人ガンマンと出会う。サム(デンゼル・ワシントン)と名乗る黒人のガンマンの腕に頼ったカレンは、復讐の代行を依頼する。そこに詐欺師のジョシュア(クリス・プラット)、メキシコ人の流れ者ヴァスケス(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)、サムの古い友人で銃の名手グッドナイト(イーサン・ホーク)、その相棒で東洋人のナイフ使いビリー(イ・ビョンホン)、山の大男ジャック(ビンセント・ドノフリオ)、そしてインディアンのレッド(マーティン・センズメアー)が加わり、即席のチームができた。

こうして7人の流れ者はそれぞれの理由を抱えて、町を守る死闘に参加することになる。

ストーリーの外形は『七人の侍』の西部劇リメイク『荒野の七人』とほとんど変わらず、オリジナルと比べても「ひねり」がない分、ストレートに進んでいく。単純に、「残虐の限りを尽くす悪党」「7人の男たちの結集」「町を舞台とした戦闘」の三つのプロットだけで構成されていて、淡い恋愛要素もなければ、思惑のすれ違いもない。ただまっすぐな悪への復讐が描かれる。

そのせいで本作は善と悪の間にはっきりとした線が引かれることになる。悪とわかっていても生き残こるために下さなければならない苦渋の選択は登場せず、悪はただ悪として撃たれるべき存在として描かれる。

こういった復讐に真っ直ぐな設定も本作を「ブラックスプロイテーション」に近づける要素になっているし、原題が『荒野の七人』の同じ作品ということで期待していた観客にとっては賛否が分かれるところだろう。また序盤でテンポよくかき集められる7人の流れ者たちが、勝ち目の薄い無謀な戦いに参加することになった経緯も十分に描けているとは思えなかった。主演のデンゼル・ワシントンの動機は十分すぎるほど理解できる。しかしそれ以外のメンバー、特に戦闘の末に倒れることになる男たちが、なぜ死を決意してまで見知らぬ町を守ろうとしたのかという部分がとにかく薄い。

クリス・プラットやイーサン・ホークという人気俳優が登場していながら、キャラクターの厚みでは束になっても主演のデンゼル・ワシントンに敵わない。この偏重のせいで、「7人/セブン」という並列する関係よりも「マグニフィセント・ワン・プラス・シックス」というアンバランスになっている。

そして本作の評価と印象を決定的にするのが、ラストの展開だった。その部分については何を言ってもネタバレになるので詳細は別ページにするが、リメイクという範疇からはみ出るように、表現としてはオリジナルを「ハックキング」したという方が正しいとさえ思えるほどだった。

アントワーン・フークア監督とデンゼル・ワシントンのタッグ作品ということでその意図を頭では理解できても、『荒野の七人/マグニフィセント・セブン』というタイトルを刷り込まれた状況では本能的に違和感も覚えた。例えば『国民の創生』のタイトルを受け継ぎながら黒人反乱をリアルに描いた『バース・オブ・ネーション』ほど明確ではないものの、オリジナルを書き換えようとする意味では共通するものを感じた。クリス・プラットがスティーヴ・マックイーンよろしく「So far so good/悪くないね」を口癖にしても、その印象は変わらない。

本作の評価とは、この意図をリメイクの意義とするか否かで分かれるのだろう。

アクションは絶品で、特に終盤の大戦闘シーンは必見。ホームセンターにあるもので戦う『イコライザー』から、採掘現場にあるもので戦うとスケールアップしているだけ、ド派手な爆破も用意されている。そしてデンゼル・ワシントン。とにかく所作が美しい。『七人の侍』の久蔵のような存在感は、クリス・プラットの軽さとの比較でさらに映える。

しかし、やはり鑑賞後、何か割り切れない思いが残る。この感覚を評価すべきか否かが難しい作品だった。

『マグニフィセント・セブン』:

以下(次ページ)にネタバレに言及したレビュー

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