【コラム】〈村上春樹〉小説に「屈辱」と町議らが抗議【フィクション受難時代】

Haruki Murakami 007

今、日本で起きている「フィクション」な物語世界に対する「現実」の抗議は、ほとんど理解できないほどに異常な様相を見せている。

先日、このブログでも「明日、ママがいない」の表現に関する個人的な見解を述べたが、それよりもずっと理解に苦しむ抗議が村上春樹氏の小説に向けられた。

 【毎日新聞】作家の村上春樹氏が月刊誌「文芸春秋」の昨年12月号に発表した短編小説で、北海道中頓別(なかとんべつ)町ではたばこのポイ捨てが「普通のこと」と表現したのは事実に反するとして、同町議らが文芸春秋に真意を尋ねる質問状を近く送ることを決めた。町議は「町にとって屈辱的な内容。見過ごせない」と話している。

この記事を読んだとき、すぐには事態を理解できなかった。というのもこの「町にとって屈辱的な内容」だと思われる短編小説を去年の暮れに私は読んだはずなのに、思い当たる節が全く見当たらなかったのだ。相変わらずの村上春樹的雰囲気の短編小説だったという薄い感想しか持っておらず、何が「屈辱的な内容」だったとか全く理解できなかった。

この小説は「ドライブ・マイ・カー」。俳優の主人公が、専属運転手で中頓別町出身の24歳の女性「渡利みさき」と亡くなった妻の思い出などを車中で語り合う。みさきは同町について「一年の半分近く道路は凍結しています」と紹介。みさきが火のついたたばこを運転席の窓から捨てた際、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との記載がある。

つまり「現実」の町議たちは、物語内における主人公のたった一文の感想にケチをつけているのだ。

町議有志は「町の9割が森林で防火意識が高く、車からのたばこのポイ捨てが『普通』というのはありえない」などとしている。宮崎泰宗(やすひろ)町議(30)は「村上氏の小説は世界中にファンがおり、誤解を与える可能性がある。回答が得られなければ町議会に何らかの決議案を提出したい」と話す。

現実の不条理もここまでくると全然笑えない。この町議は自身が行おうとしていることの意味をちゃんと理解しているんだろうか。よく一部の年寄りが戯れ言として、「最近の若者は現実と非現実の区別がつかない」などと発言したりするが、この町議はまさしくその「現実と非現実の区別」がついていない。そもそもその両者の意味を理解しているのかも疑わしい。

心情としては、小説内の情景描写などで現実と違う描かれ方をした場合は、こういった抗議をしたくなる気持ちも理解できる。しかし今回の抗議の対象は、物語内の主人公の「感想」である。現実に「ポイ捨てが『普通』というのはありえない」としても、これは小説で前提がそもそも町議の言う『事実』を扱っていないのだ。

現実に存在する地名を扱っているから不謹慎だという意見もあるのかもしれない。それならば現実に存在する場所を舞台にした物語では、いかなるネガティブな感想も表現してはいけなくなる。ウィリアム・フォークナーのアメリカ南部を舞台にした小説も、スチュワート・ダイベックのシカゴの物語も、東直己の『ススキノ探偵シリーズ』も、その街が独自に醸成した雰囲気がなくては成立しない。

この抗議に該当する箇所とは主人公の『斜に構えた』ただの思い込みである。こんなことにケチがつけられたら、『たった一つの他愛のもない行動からその人の性質を推し測る行為』そのものが物語ではできなくなる。この抗議に同意したその瞬間、この世からすべての推理小説は消えてなくなってしまうだろう。そしてシャーロック・ホームズはただの役立たずになり、人気ドラマ『相棒』は真犯人を野放しにする冤罪物語になってしまう。

いつからこんな理解不能なクレームが影響を持つようになってしまったのだろう。確かに該当する町に住んでいる人には不快な表現かもしれない。でもそれは日常ではありふれた、あまりに“小さな”不快感である。日々誰かによって撒き散らされ、あなたも誰かに与えたことのある不快感なのだ。少しばかりの寛容さと想像力があれば、それを意識の外に追いやるくらい造作もない程度の不快感だ。

こういった骨髄反射的なクレームはここ数年で明らかに酷くなっているし、今後もさらに状況は悪化しそうだ。その結果、互いの非を血眼になって探す『華氏451度』のような近未来的相互監視社会ができ上がるのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

この小説では、主人公が自身の身に降り掛かった災難に対して、世の中には「頭で考えても仕方のない」ことがあると達観していく過程を描いている。会ったこともない世界的に有名な小説家がおらが町を悪く書くことも、「頭で考えても仕方のない」ことだと割り切られない限り、物語を楽しむことも出来なければ、物語から教訓を得ることだって出来なくなってしまう。

参照記事:毎日新聞

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▼村上春樹『ドライブ・マイ・カー』掲載号▼

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