映画レビュー|『黄金のアデーレ 名画の帰還』-過去を巡る欺瞞との戦い

Woman in gold slide copy

オーストリアの代表的画家グスタフ・クリムト作『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』の所有権を巡り、オーストリア政府と戦ったナチス迫害を経験した老女と若き弁護士の真実の物語。絵のモデルの姪である老女をヘレン・ミレンが、そしてやがてはユダヤ系という自分のルーツと向き合う若き弁護士をライアン・レイノルズが好演。まだ終わっていない過去の清算の物語。

『黄金のアデーレ 名画の帰還/WOMAN IN GOLD』

全米公開2015年4月1日/日本公開2015年11月27日/アメリカ・イギリス合作/109分

監督:サイモン・カーティス

脚本:アレクシー・ケイェ・キャンプベル

出演:ヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズ、ダニエル・ブリュール、ケイティ・ホルムズ他

あらすじ(ネタバレなし)

アメリカに暮らす老女マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)はナチスの迫害から逃れ故郷のオーストリアからアメリカに亡命した過去を持つ。彼女が暮らしたウィーンの家は裕福で多くの美術品を所蔵していたものの、その全てはナチスによって略奪されていた。そのなかには「オーストリアのモナリザ」と呼ばれるクリムト作『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』もあった。実はその絵のモデルとなったアデーレ・ブロッホ=バウアーは、マリアの叔母だった。

一方、マリアの友人を母に持つ若き弁護士ランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)は独立に失敗するもやっと安定した事務所に勤め始めたばかり。そんな彼にマリアは「ナチスによって略奪された叔母の肖像を取り返すことができるか」という相談を持ちかける。

自身のルーツもオーストリアのユダヤ系にあったランディは、マリアを通して過去におきた悲劇と向き合い、やがてはオーストリア政府を相手に、正義のために、法廷闘争を挑むことになる。

レビュー

「過去は過去、今更どうもできない」という欺瞞との戦い:

ちょっと個人的な話から。2001年、当時オーストリアを旅行中、もちろんウィーンのベルヴェデール宮殿にあるオーストリア・ギャラリーを訪れた。目当てはエゴン・シーレのコレクションで、クリムトではなかったのだが、それでも金箔を豪華にあしらったちょうど正方形の『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』は記憶に残っている。絵を前に立つと自分の影が絵に投射され、わずかな光源の揺らめきも金箔は見逃すことなく、絵は表情を変えた。『接吻』よりは一回り小さいながらも、輝きの印象はそれを上回っていた。

本作『黄金のアデーレ 名画の帰還/WOMAN IN GOLD』は、一人の女性の波乱の人生を通して、2001年にはウィーンのギャラリーにあったはずのクリムト作『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』が、現在ではニューヨークのノイエ・ガレリエに移されている経緯を描いている。つまり真実の物語なのだ。

絵のモデルとなったアデーレ・ブロッホ=バウアーは裕福なユダヤ人家族に生まれるも、43歳で死亡、その後この絵は彼女の夫が所蔵するもナチスの脅威が迫るなか絵を残したままスイスに亡命してしまう。そのため『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』はナチスに接収され、オーストリア・ギャラリーに所蔵されていた。

一方で、幼少の頃に、子供のいなかったアデーレに可愛がられた彼女の姪マリア・アルトマンはナチスのユダヤ人迫害の最中に着の身着のままでアメリカに亡命した過去を持っている。妹を病気で亡くしたことを契機に彼女は知り合いの息子の弁護士に、歪められたままの正義を正すことを依頼する。つまりナチスに接収されたままの『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』を本来あるべきところに戻す、ということだ。マリアもそうであるように、依頼を受けた若き弁護士も、非常に特異なオーストリアのユダヤ人をルーツに持ち、彼の祖父は晩年映画音楽の分野で活躍する作曲家エーリッヒ・ツァイスルと、もうひとりは12音技法の創始者で20世紀を代表する作曲家でもあるアルノルト・シェーンベルクである。それでもマリアもランディもアメリカでは決して特別な存在ではない。なぜならマリアやランディの祖先は故郷を捨ててアメリカに亡命してきたのであって、オーストリアでの蓄えは全てナチスによって接収されていたのだ。ただ彼らが「ユダヤ人」であるために、ある日、全てを失ったのだ。

本作『黄金のアデーレ 名画の帰還』は全体としては冗長な印象を受ける。作品のテーマや背景の深みに、脚本と演出が追いついていない。大げさな回想描写が作品の真実味に水を差し、ラストの感動さえも作り物のような印象を与えている。最高の素材に余計な手を加えた結果、標準的な感動に留まることになってしまった。

それでも本作は、主人公で物語のキーとなるマリアのみの視点で描かずに、同じくオーストリアのユダヤ人をルーツに持つ若き弁護士ランディの成長物語として描いたことで、テーマは普遍的なものになっている。ナチスの迫害を体験したマリアがオーストリアとの泥沼の法廷闘争を嫌がる場面で、ランディに「過去は過去で、今更どうにもできないの」と語りかける場面がある。確かに当事者にとっては傷ついた過去を掘り返すことは痛みしか伴わないのかもしれない。しかしランディは違った。自分の祖先がマリアと同じような苦しみを経験したまま死んでいった過去を詳しく知らぬまま育ったランディにとって『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』をナチスの手から解放することは、自分がここに生きることの証だった。自分が今ここに生きるために、祖先たちが流すことを強要された血や涙の清算だった。映画の冒頭では頼りない青年が、物語の最後には頼り甲斐のあるひとりの男へと成長していく。それはマリアひとりでは耐えきれなかった「過去は過去、今更どうもできない」という社会の欺瞞に、たったひとりで挑んだ実存の証明だった。金のためでもなく、名誉のためでもない、今ここに自分が存在するという実存をめぐる戦いを通してランディは成長していく。

また主人公のマリア演じるヘレン・ミレンもさすがの好演だった。オーストリアに滞在していてもドイツ語を話そうとはしない態度は、彼女の妥協を許さない厳しい姿勢と相まって「偏屈」とさえ受け取られるも、物語が進むことで彼女の「偏屈」とは実は確固たる「信念」であったことが描かれる。

そしてマリアやランディをウィーンで助ける記者役を演じるダニエル・ブリュールも、過去を知らずに今まで生きてきたランディとは正反対に、過去と向き合わざるを得ないオーストリア人の覚悟を好演していた。ナチスという怪物は、今でも、傷つけられた痛みだけでなく、傷つけた痛みさえも生産し続けている。過去に誠実であるからこその痛みも存在も描かれている。

ナチスに奪われた美術品の数々は未だに清算されることなく、オーストリアやドイツに眠っている。日本では未公開となったジョージ・クルーニー監督作の『ミケランジェロ・プロジェクト』や、古くはジョン・フランケンハイマー監督作『大列車作戦/THE TRAIN』(これは大傑作)などナチスに奪われた財宝の奪還を描いた映画はあるが、本作はただ過去の感動的な出来事を描くことを目的とした映画ではなく、歴史というものは歪められず連続していることを訴えている。特に法廷闘争を通して描かれるオーストリア政府の頑な態度は、美術品に固執したナチスの性向と意図的に重ね合わされており、ナチスは去ったとしてもナチス的なものは未だに根強く残されていることが示唆されている。これは日本人にはなかなか胸が痛い指摘で、軍国主義は去っても軍国的思想が広がっている昨今の日本が透けて見えてしまう。

映画としては不満な点も多い。またオーストリア側にも言い分はあるだろう。それでもひとりの老女の劇的な運命には感動せずにはいられない。過去は変えられないが、過去の誤った認識を正すことはできる。2001年に私がウィーンで見た『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』は本当の姿ではなく、それは囚われたままの『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』であり、現在ニューヨークで見られる彼女こそが本当の『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I 』なのかもしれない。

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ということで『黄金のアデーレ 名画の帰還/WOMAN IN GOLD』のレビューでした。本文でも書きましたがこの手のナチスからの奪還系映画ではジョン・フランケンハイマー監督作の『大列車作戦/THE TRAIN』が大好きで、『ミケランジェロ・プロジェクト』にも期待していたんですがアレはダメでしたね。日本では前売り券が発売されながらも公開中止になり、DVDさえも発売されていません。まあ、裏では色々とイヤーな噂も聞きますが、その真偽も「戦中の財産没収の保障」を描く本作の扱いで明らかになるでしょう。ちなみに本作はベルリン映画祭でプレミア上映されています。こういったドイツの姿勢から見習うことも多いのでは。星評価は4つ星としていますが、ギリギリ4つで本当はレビューを描く前は3つ星をつけていました。ちょっと甘めの採点です。それだけ是非とも見て欲しい映画です。また老女と青年のバディ映画としても楽しめます。以上。

追記:日本未公開と記述している『ミケランジェロ・プロジェクト』は2015年11月6日に日本公開が決定しました。

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