映画レビュー『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』-人々の黄昏と犬たちの反乱

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第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、同部門グランプリとパルムドッグ賞をダブル受賞した『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』のレビューです。人間のために飼いならされ、やがて捨てられた犬たちが人間社会に牙をむく本能と革命の物語。2015年11月21日より劇場公開。

『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲/White God』

日本公開2015年11月21日/ハンガリー・ドイツ・スウェーデン/117分/ドラマ映画

監督:コーネル・ムンドルッツォ

脚本:コーネル・ムンドルッツォ

出演:ソフィア・プソッタ、サンドル・ソテル、リリ・ホーヴァス、他犬多数

あらすじ

ハンガリーの首都ブタペストを舞台に、雑種犬だけに重税を課す悪法によって飼い主の少女と引き離された犬ハーゲンと、人間に虐げられ保護施設に入れられた犬たちが起こす反乱を描いた異色ドラマ。雑種犬に重税が課されるようになった街。13歳の少女リリは、可愛がっていた愛犬ハーゲンを父親に捨てられてしまい、必死でハーゲンを探す。一方、安住の地を求めて街中をさまよっていたハーゲンは、やがて人間に虐げられてきた保護施設の犬たちを従え、人間たちに反乱を起こす。

参照:eiga.com/movie/81821/

レビュー

人々の黄昏と犬たちの反乱:

優れた映画の一つの条件に様々な読み解きが可能なことが挙げられるのなら、本作『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』は神話的にも現実問題としても多くの解釈を許すということで、間違いなくその範疇に入るだろう。

第67回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門グランプリとパルム“ドッグ”賞をW受賞した本作は一見すれば、250匹もの犬たちがまるで意思を持った「俳優」のように演技することで描かれる、アニマル・パニック映画といった面持ちと言える。実際に本作の特異性とは、ブダペストの街を占領する犬たちの圧倒的な迫力と、恐ろしいまでに統率の取れた彼ら犬たちの存在感にある。しかも彼ら犬たちの多くはタレント犬ではなく実際に施設に収容されていた元野良犬たちだというから余計に驚く。それほどまでに犬たちの怒りや絶望が、彼らの表情や行動から描かれている。しかし本作は決してそれだけのアニマル映画ではない。

舞台はハンガリーの首都ブダペスト。雑種犬に特別税が課せられるため、分からず屋の父親に愛犬ハーゲンを捨てられた少女リリィ。リリィが探し回る一方で、ハーゲンは人間たちの欲望にひたすら振り回されることになる。野良犬の駆除から逃げまわり、ホームレスの手からやがて闘犬 のトレイナーの手に渡り、心優しいハーゲンは賭け事の対象として他の犬と戦わされることになる。そして物語は犬たちの反乱へと繋がっていく。

あらすじの通り、映画としては『猿の惑星:創世記』とほとんど同じ流れとなる。テーマでも重なる部分が多く、神になろうとした人間が、その傲慢さを弱点にして奴隷たちに反乱を起こされるというもの。この手の話は昨今の人工知能やアンドロイドを扱う物語でも頻出しており、それ自体には真新しさはないのだが、本作はSF作品とは違って本物の人間と本物の犬との現実的な物語になっているため新鮮さは特出している。物語の細部はドキュメンタリーやテレビニュースでも見覚えのあるシーンなのだが、それらが一つの物語として連続する様は圧巻としか言いようがない。人間に虐げられる犬たちの 姿は直視するのも痛々しい現実問題であり、ファミリー向けアニマル映画では描き切ることのできないリアリティを備えている。

そして犬たちの存在感だけでなく、本作には物語の部分でも様々な寓意と比喩に満ちていた。ただ単純に「動物虐待反対」を前面に押し出したわかり易いだけの説教映画ではなく、物語として不可欠な因果の刃をゴア描写としてしっかりと描いている。

物語は少女リリィが捨てられた愛犬ハーゲンを探す流れと、ハーゲンが人間の欲望の犠牲者として体験する幾つもの地獄とそこからの反乱という二つの軸で描かれる。そして主軸となるのは明らかに犬たちが主役となっている後者の方だった。つまり本作の実質的な主役は犬のハーゲンということになる。

犬の名前はおそらくワーグナーのオペラ『神々の黄昏』に登場する悪役ハーゲンから取られている。神話の世界、ワルキューレの岩山から始まる壮大なオペラの最終編は、ジークリフリートの持つ世界を支配する指輪に嫉妬したハーゲンが、卑怯な手を使って彼から指輪を奪い取ることで終幕へと向かっていく。英雄ジークフリートに対する悪役として登場するハーゲン。しかし解釈によってはハーゲンは生まれ持ってした指輪の犠牲者であり、その心の闇深さとはある意味において周りから作られたとも言える。だからこそ『神々の黄昏』においてハーゲンの存在は主役を凌駕するほどに注目され、その最後は悲劇的ですらある。

本作の邦題は『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』であるが、本来は副題のない『ホワイト・ゴッド(純白の神)』を意味する言葉のみになっている。これは「DOG」の逆さ読みが「GOD」であると同時に、本作の主役である犬から見た人間の姿であり、前述した『神々の黄昏』においては「ニーベルングの指輪」である全世界の支配を可能とする指輪を持つジークフリートと言えるのかもしれない。そしてワーグナーが描いた神々の壮大な叙事詩の終わりを告げるのが『神々の黄昏』であり、ハーゲンの反乱によってジークフリートは死に、神々の世界は灰となる。

本作では数百もの犬たちを携え純白の神である人間に反旗を翻すハーゲンだが、『神々の黄昏』との関連のなかで彼の言葉とならない意図や本心は解釈できるだろう。それは人間が作り出した楽園の終を告げるラグナロク、つまり神々の黄昏、言い換えるなら人々の黄昏、つまりはその終末の予感なのかもしれない。

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ということで『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』のレビューでした。オープニングからとんでもない映像が観られる、なかなかお目にかかることのできない異色映画です。個人的にはかなりハマった作品で、犬好きには色々とキツいシーンもありますが、全ては犬たちの反乱のためです。大丈夫、あのクソッタレの人間どもはしっかりと罰せられます。それでもラストシーンは何とも「ラスト・サムライ」でアレでよかったのでしょうか。まあ、終わり方は難しい映画ですが。とにかくオススメの映画です。それにしても邦題の余計な付け足しは何なんでしょうか。しかもラプソディーって、ボヘミアンじゃないんだから。でも何はともあれオススメです。以上。

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