映画レビュー|『ターボキッド』-本当にカッコ悪い80年代

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『ターボキッド/Turbo Kid』

全米公開2015年8月28日/日本公開2015年10月3日/カナダ・ニュージーランド/95分/アクション・ホラー

監督:フランソワ・シマード、アヌーク・ウィッセル、ヨアン・カール・ウィッセル

脚本:フランソワ・シマード、アヌーク・ウィッセル、ヨアン・カール・ウィッセル

出演:マンロー・チェンバーズ、ローレンス・レボーフ、マイケル・アイアンサイドほか

あらすじ(ネタバレなし)

核戦争で文明が崩壊した1997年。水を巡って猛者たちが争う荒涼とした無法地帯で、BMXに跨るキッド(マンロー・チェンバーズ)は、コミック『ターボライダー』を人生のバイブルとして1人で生き延びていた。そんなある日、謎の少女アップル(ローレンス・レボーフ)に出会ったキッドは、彼女に惹かれてゆく。ところが、水を牛耳る極悪首領ゼウス(マイケル・アイアンサイド)によってアップルが誘拐されてしまう。キッドは彼女を取り戻すため、ゼウスに正義の鉄槌を喰らわすため、ターボライダースーツに身を包み、チャリンコで荒野を疾走!敵のアジトに乗り込んでゆく!!

参照:movie.walkerplus.com/mv58923/

レビュー

「80年代」は一周回っても「80年代」なのだ!

80年代ポップカルチャーへのオマージュで彩られた本作『ターボキッド』は、同時に2015年の映画界を総括するように、レトロで、過激で、スーパーヒーローな一作だった。

舞台は1997年。世界は荒廃し、街を牛耳るのはゼウスという怪人。彼の暴力に人々は凍りつくなか、少年キッドはアメコミのヒーロー「ターボライダー」に憧れるオタクへと成長する。そしてある日、出会った少女アップルが怪人ゼウスにさらわれたことから、「ターボキッド」へと変身し宿敵ゼウスに戦いを挑む、という内容。そして映像も音楽も演出もどれもこれもが子供向け特撮ヒーロー風でありながらも、映画のオープンングで串刺し生首がアップになり、その後も滝のような血しぶきと飛び交う手足のオンパレードと充実の一時間半となっている。

やはり2015年公開映画ということで『マッドマックス』との比較は避けられないが、本作はそもそもが『マッドマックス2』のパロディでもあり、それだけでなく『ターミネーター』や『トゥモローランド』『キングスマン』といった映画の雰囲気も感じさせる、2015年の話題作をまとめてパロディにしたようだった。もちろん製作期間を考えれば、本作が内容的に2015年話題作のパロディではないことはわかる。しかし結果的には、80年代ポップカルチャーを通して、本作はそうなっている。

話の内容自体は別に目立ったところはない。オタクが喜びそうなことを、大袈裟に、都合よくまとめただけの前半、そして過激さを極める中盤、そこから作品のトーンが変わり、ラストでは前半部の大袈裟さや御都合主義をしっかりと自己言及的に物語として回収している。つまりはオタクがオタク世界から卒業することを描いている。

興味深いのは本作の舞台が1997年ということ。近未来という設定なのに実際には実時間を遡っているという現象。これは何を意味するのか?

ちょっと話は変わるが本作が意識していると思われる作品に『BMXアドベンチャー』という作品がある。無名時代のニコール・キッドマンが出演している少年少女向け映画で、『ぼくらの7日間戦争』の元ネタと思われる作品でもある。そしてその作品と日本で同時公開されていたのが『ネバーエンディング・ストーリー』だった(たぶん)。だから何だと言われればどう答えればいいのかわからないのだが、きっと本作を作った人たちは1980年代に少年少女として、おそらくは『BMXアドベンチャー』や『ネバーエンディング・ストーリー』を観て育ったのだろう。だからこそ本作の舞台は1997年になっている。

それは80年代に少年少女時代を過ごした人々が大人へとなっていく時間と同じになっている。80年代にオタクたった人々が大人になることを迫られるXデイ。だからこそ本作には80年代ポップカルチャーのアイコンが数々登場し、それら全ては物語世界では無意味なものに成り下がっている。そんな厳しい社会に背を向けるように本作の主人公はひとりで部屋に閉じこもっている。そこに可愛くて、ちょっと抜けている、美少女が現れる。そして彼女を救うため少年はスーパーパワーを手に入れる。という流れだけではオタクによるオタクのための自慰用映画にも思われるだろうが、実際にはその真逆になっている。

詳しい話の流れは是非本編を観て欲しい。

本作はジャンルとしてはアクション・ホラーとなり、手足は切断され生首もラグビーみたいに扱われる、いわゆる「ゲテモノ」映画であることは間違いない。確かに下品で露悪的な描写の連続なのだが、物語そのものは非常にシンプルな通過儀礼を扱っている。ほとんど『ラースと、その彼女』と同じなのだ。それでも劇中で80年代的スプラッター描写を多用するあたりが製作者たちの照れ隠しのようで微笑ましくさえ思う。好きな子にわざと辛く当たる感じで生首を串刺し、血しぶきを噴き上げているのがよくわかる。

もろに80年代に少年だった自分にとって本作はかなり強い印象を残した。少なくとも同世代の人々には直撃する内容で、ロックマンのバスターをおもちゃにしていた人々には胸に迫るものさえあり、かなり切ない。

80年代というのは前後のディケードと比べると、どうしても「ダサい」「暑苦しい」「ウザい」と蔑まれる傾向になるのだが、それゆえの哀愁というか、「ピコピコサウンド入りハードロック」の趣というか、そういう非常に敏感な世代の空気を物語としてもしっかりと映像化していることは評価したい。

70年代はカッコイイ、90年代も充実の時代だった。一方で80年代はやはりダサい。ド派手なハードロックは未だに再評価されないし、ロックに限らず色々と暗黒だったのかもしれない。でもその時代に育った人々からすれば、そんな比較は関係ない。そろそろ80年代の再評価という動きがあっても当然だろう。

そして何より素晴らしいのが本作では80年代を意識的リヴァイバルしながらも、結果的にやはりイメージのままの80年代に着地したところだろう。つまりどう頑張っても80年代は80年代だという事実。一周回ってもカッコよくなんてなりたくない、という80年代の勇気ある意思表明に深く賛同したしだいです。そしてマイケル・アイアンサイドにも敬礼します。

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ということで『ターボキッド』のレビューでした。それにしてもこの手の映画に関わる日本の関係者の働きぶりは刮目すべきでしょう。他の大作映画がオタオタとして日本公開日が決まらないなか、本作『ターボキッド』は早くも10月に日本に上陸します。仕事が早くて確かです。公開館数は少ないようですが、これは見逃せない一作です。おすすめです。以上。

 

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