【映画】ジュリアン・ムーア主演『アリスのままで』レビュー

ジュリアン・ムーアが若年性アルツハイマーに冒される母親を演じた『アリスのままで』のレビューです。ゴールデングローブ賞をはじめ今年の各主演女優賞の多くを獲得し、アカデミー賞主演女優賞も受賞したジュリアン・ムーアの演技に注目。自分の存在を含めたすべての「過去」を忘れていく恐怖のなか、「今だけ」を生きなければならないことの苦しみと悲しみを見事に描ききった秀作。共演はアレック・ボールドウィン、クリステン・スチュワート。2015年6月日本公開予定。

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ストーリー ※ネタバレなし

名門大学で言語学の教授を務めるアリス(ジュリアン・ムーア)はすでに3人の子供もそれぞれが成人し、夫(アレック・ボールドウィン)とともに充実した日々を過ごしていた。

公私にともに不自由のない生活を送っていたアリスだが、いつからか徐々に物忘れがひどくなっていく。大学での講義では話す内容を忘れてしまい、ランニング中に突然自分の居場所がわからなくなる。そして彼女はカウンセリングを受けるが、その最中についさっき覚えたばかりの住所を言えなくなってしまう。

それでも彼女は必死になって自分の物忘れの症状が何かの間違いだと思うように努めるも、家族でのクリスマスディナーの席で作りなれたはずの料理のレシピを思い出せなくなってしまう。

そして精密な検査ができるPETスキャンを受けることを勧めれらたアリス。医者からアルツハイマーの可能性を指摘され、それを受け入れることができないアリスだったが、言語学者として言葉がうまく出ない今の自分が「普通」ではなくなっていることも分かっていた。

検査の結果、アリスは非常に稀な遺伝性のアルツハイマーを発症しており、彼女の子供たちにもそれが引き継がれている可能性があった。そして3人の子供のうち、ひとりにはアルツハイマーの原因となる遺伝子が受け継がれていた。

自分が関わってきた過去を少しずつ、しかし確実に忘れていくアリスは、やがては自分の娘の名前も、そして自分という存在そのものさえも記憶から失おうとしていた。過去を忘れるという恐怖、そしてその恐怖さえも忘れてしまうというさらなる恐怖の中、彼女はすでに全てを忘れてしまったであろう未来の自分に向けて、ある重要なメッセージをビデオに託すのだった。

レビュー

過去に4度アカデミー賞候補に挙げられながらも受賞に至っていないジュリアン・ムーアが若年性アルツハイマーに冒された母親を見事に演じきった本作は、「病と家族」をめぐる定型的な感動物語という枠組みからさらに踏み込み、根源的な人間性に対する問いかけともなっている。現在の自分が過去の集積であるとするのなら、過去の記憶を消失してしまった人間にとっての自分とはいかなるものなのか。「今だけを生きる」という行為がどれほどの苦痛を伴うものなのか。

華やかなキャリアを築き、幸せな家庭にも恵まれているアリスは突如、若年性アルツハイマーという現代の医療では治療が不可能な病に冒される。今まではしっかりと記憶の中にあったモノたちが徐々に消え去っていく。そしてその対象は、トイレの場所、簡単なスペル、そして自分の子供たちの名前さえも含み、やがては全ての記憶、自分が誰であるとかという認識さえも失ってしまう。これまで自分が築き上げてきた過去を失う恐怖。しかもそれは自分の父から受け継いだ遺伝性のもの。過去から受け継いだものによって、自分が自分ではなくなってしまう。彼女の苦しみの全てはその点に集約されている。

この作品を観るとどうしても人間の時間性について考えてしまうことになる。我々にとっての時間とは「過去」「現在」「未来」の三つに区分されるが、実際には「現在」という時間的存在はそれを認識した瞬間には「過去」となっているわけで、あくまで概念でしかない。つまりこの世界には「過去」と「未来」しかなく、時間とは「過去」から「未来」に不可逆的に流れる軸である。そして「過去」と「未来」の対比においては現時点では存在しない「未来」への信頼度は当然「過去」よりも圧倒的に少ない。これが人間が過去に規定される「過去的な動物」であると言われる所以である。これまで多くの映画の題材に記憶の欠損がもたらす恐怖が用いられてきたことは、このような時間感覚を逆手にとってのことだ。ジェイソン・ボーンは過去の自分を探すために巨大組織に立ち向かい、『メメント』では過去の忘れてしまった核心に向けて時間の展開を逆転している。

しかし本作はこの時間感覚に疑問を投げかける。本当に人間とは「過去的な動物」なのだろうか、と。過去にすがることでしか未来へは進めないのだろうか、と。過去を失った人間にとって本当に未来は絶望となってしまうのだろうか、と。

おそらく人間が過去に多くを依存する存在であることは間違いない。しかし一方で「未来=死」という前提で時間の認識した場合、ドイツの哲学者ハイデッガーが発した有名な命題「人間は根源的に時間的存在である」という言葉の重要性も際立つ。人間(=現存在)とは自らの死を未来的現象として意識することで、根源的な人間性と深く結びつく時間性を獲得する。過去の誰かの死の集積のためではなく、未来の自分の死を意識すること。人間が時間的存在である所以とは、平たく言えば、その時間とは過去から未来にだけ流れるのではなく、少なくとも人間性に由来する時間とは、自らの死という未来から逆算的に流れてくるということ(だと思う)。

過去も失い、自らの死を意識せずに「今」を生きようとすることは不可能だ。文字通り自分が自分ではなくなる。必ず壊れる。「今」を生きようとすれば自分の死を強く意識し、そこ(自分の死)から流れてくる時間と向き合わなければならない。自分の死をはっきりと認識した人が、未来からの時間の流れの中で「今」を必死に生き、結果、素晴らしい仕事を成し遂げる場合がある。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』を、きっと伊藤計劃もそうやって「今だけ」を生きた結果、傑作を生み出したはずだ。

話がずいぶん大げさに逸れたが、本作『アリスのままで』の終盤において病に冒された彼女が披露するスピーチはまさにそれに相当する。過去に執着するのではなく、未来からの時間を逆算して今の自分の位置を図る。その苦闘のすえに語られる彼女の言葉は映画史に残る名演説で、このシーンでは感涙必至。

ジュリアン・ムーアの演技はもちろん文句無しだが、夫役のアレック・ボールドウィンや娘役のクリステン・スチュワートなど家族の演技も素晴らしかった。流行歌でよく歌われる「今を生きる」ということの本当の姿を描いた秀作。

Still Alice

ということで『アリスのままで』のレビューでした。今回もあえてネタバレしませんでした。そういう作品ではないですからね。あと自分で書いててアレですがハイデッガーの部分の説明はちょっと怪しいかなと、、、、、まあ、とにかくジュリアン・ムーアの演技が冴え渡る秀作という印象で、結末もこれしかないというものでしたが、そこに至る経緯がしっかりと描かれており、この手の「重病」ドラマにありがちな説教臭さもなく良質なドラマに仕上がっていました。日本公開は2015年6月に予定されています。なお本作ではアレック・ボールドウィンはキレていませんが、クリステン・スチュワートは相変わらずです。

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▼原作小説『静かなアリス』リサ・ジェノヴァ著

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