映画『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』レビュー

世界中で若者たちを熱狂させるEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を題材にしたザック・エフロン主演の『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』のレビューです。有名DJになることを夢見るひとりの青年の、友情と恋愛と挫折と音楽の関係を描く青春ドラマ。

We are your friends

『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』

全米公開2015年8月28日/日本公開2016年6月24日/音楽映画/96分

監督:マックス・ジョセフ

脚本:マックス・ジョセフ、ミーガン・オッペンハイマー

出演:ザック・エフロン、エミリー・ラタコウスキ―、ウェス・ベントリー、シャイロー・フェルナンデス、ほか

レビュー

若者たちから強い支持を受けているジャンルEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)は2010年くらいでは「若者たちの間で最も急速に浸透している音楽」というある種のブームとして享受されていたが、それから数年経った2016年現在では「若者たち」という限定された世代からも徐々に解放されて、テレビやラジオでも耳にする機会が増えてきた。

「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」というだけあって、電子音を使って、踊らせることを目的とした音楽EDMの特徴とは、乱暴な印象としてはフレーズの反復にあるように聞こえる。それだけではほとんど何の価値もないようなフレーズをひたすら反復し、そのループの進行具合に合わせていくつかの音楽的装飾が加えられ、やがて絶頂へと至る。この快感の構造とはもちろんセックスのそれと同じで、非常に身体的な音楽だと言える。同時に快楽を求めてひたすら反復行動を希求していく姿は麻薬的でもある。

EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)とは、音楽的構造として、セックス的あり麻薬的でもあり、その両方でもある。

『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』の主人公コール(ザック・エフロン)は若手DJ。夜な夜なクラブを渡り歩きながらも、いつかEDMのシーンで世界的名声を得ることを夢見ている。しかし実際は住む家もなく友人の実家に居候する情けない身分で、刹那的な青春の日々を浪費している。

ある日、クラブイベントで偶然にも世界的なDJのジェームズ(ウェス・ベントリー)と出会い、彼から音楽の手ほどきを受けるようになる。そしてジェームズの恋人のソフィアにいつしか心奪われてしまう。

手を伸ばせば届くかもしれない夢の世界。そのために友情を切り捨て、愛情を諦めなければならないのか? そもそも自分には才能があるのか? やがてコールは取り返しのつかない挫折を経験することで、本当の自分と向き合うことになる。

We are your friends

青春(映画)にドラッグとセックスは付き物だが、本作ではそれが露骨に表現されている。コールがいつもするんでいる友人3名のうち1人はドラッグディーラーで、コール自身も安物のマリファナを嗜んでいる。またデヴィッド・フィンチャー監督作『ゴーン・ガール』で主人公の浮気相手を演じ、本作ではコールとジェームズの師弟関係の間で揺れるソフィーを演じるエミリー・ラタコウスキーからは終始、エロが香り立っている。そして実際にコールとソフィーが結ばれるシーンが、物語上の大きな転換点となっている。

EDMはセックスとドラッグの音楽だ、と映画を見ただけで断定すれば愛好家たちから怒られるのだろうか。それでも、かつてはロックンロールと手を繋いでいたはずのドラッグとセックスは、その関係を解消し、新たなる相棒としてEDMを見出したことは間違いないだろう。EDMのDJとはかつてのロックスターであり、プッシャーとグルーピーは欠かすことができない。本作はそういった現実的な解釈を一通り正直に提出しておきながら最終的にはそれらを音楽と分離して描こうとしている。つまりEDMはセックスやドラッグと密接に見えるかもしれないが、本質は別のところにあると言いたいのだろう。

加熱するEDMシーンを背景に、その世界で成功を夢見る青年の挫折と夢の物語。同時に本作はEDMという音楽の「本当」の性質を伝えようともしている。ドラッグとセックスの代替とされる偏見に対して、物語として反論しようとしている。ドラッグがなくても人々はEDMを求め、セックスがなくとも主人公はDJへの夢を諦めない。教条的な映画としてはうまくまとまっている。

しかし本当にそれでいいのだろうか? 本当にそれが本質なのだろうか?

仮にEDMにセックスとドラッグが無関係だとしても、音楽的にはセックスやドラッグの快楽と共通する部分が多いはずだ。そしてEDMだけに限らずあらゆる音楽とはセックス的にありドラッグ的なもののはず。それゆえにセックスやドラッグとの親密さをあえて後半で逆転させる物語には嘘臭さを感じてしまった。前半で描かれるEDMとセックスやドラッグの親和性は終盤に否定されることになるのだが、音楽がセックスやドラッグの代替であることは何も悪くない。その逆も然りで、ドラッグもまた音楽の代替になり得るはずだし、重要なのは本当の音楽とはそれを凌駕するものだという姿勢ではないのか。

ハウスやテクノといったハイソで自己完結的なクラブカルチャーへのカウンターとして増殖した経緯もあるはずのEDMの魅力が底抜けの快楽と爽快感にあるのだとすれば、真面目に「EDMにはドラッグもセックスもいらない、夢があればいい」というメッセージを発することでジャンルとして死んでしまうような気さえする。

王道な青春映画としては安心して観ていられる水準だが、EDMの映画としては優等生すぎるように感じた。

『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』:

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