映画『ウォークラフト』レビュー(ネタバレページあり)

世界的人気のオンラインゲームを『ミッション:8ミニッツ』のダンカン・ジョーンズ監督が映画化した『ウォークラフト』のレビューです。剣と魔法の世界を舞台に、人間とオークがそれぞれの信念で愛する者たちを守る戦いに身を投じていく姿を壮大なスケールで描く。

Warcraft quad

『ウォークラフト

全米公開2016年6月10日/日本公開2016年7月1日/ファンタジー/123分

監督:ダンカン・ジョーンズ

脚本:チャールズ・リーヴィット、ダンカン・ジョーンズ

出演:トラビス・フィメル、ポーラ・パットン、ベン・フォスター、ドミニク・クーパー、トビー・ケベル

レビュー

剣と魔法の世界「アゼロス」には人間やドワーフ、エルフといった種族が暮らしている。一方で、「アゼロス」とは違った世界の「ドラエナー」には人間よりも巨大なオークたちが暮らしていた。本来は混じることのないふたつの世界。しかし「ドラエナー」は土地が衰え滅びようとしていた。オークたちは故郷を捨てて、「アゼロス」へと続く魔法の扉「ダークポータル」をくぐり、新世界での新しい生活を決意する。こうして「アゼロス」を舞台に、平和を維持しようとする人間と、安住を求めるオークたちは、互いが深い闇に操られながら激しい戦いへと向かっていく。

魔法が飛び交い、異形の生物や異種族が登場するファンタジーとなれば、もちろんトールキンの世界からの影響は隠しようもないが、本作『ウォークラフト』は『月に囚われた男』や『ミッション:8ミニッツ』といった「クセ」のあるSF映画を監督してきたダンカン・ジョーンズ初めてのメジャー大作映画でもあり、彼自身が大ファンと公言するゲームの映画化ということで、一筋罠ではいかないクセの強い作品に仕上がっていた。

本作の物語とは一言で言えば『指輪物語』の現代的アップデート版となるだろうか。トールキンの『指輪物語』は現在の「ファンタジー」というジャンルの基本要素のほとんどを網羅し、小説、映画、ゲームといった現代のエンタメへの派生的影響を考えると他に類が思い浮かばないほどに偉大な作品だ。一方で宮崎駿が「人種差別的」と非難するように、現代の視点から見れば倫理コードに抵触しかねない設定も見られる。事実、映画版でも人間やエルフ、ホビットといった「こちら」側のキャラクターは白人が演じ、対する敵側には東方の野蛮人らしき姿がちらほら見えた。もちろん原作が書かれた20 世紀半ばの時代性を考慮すれば、そこに人種差別の認識があったかについては議論の余地があるが、例えば手塚治の漫画にも今となってはいくつかの問題表現が含まれるように、現実世界を投影したファンタジーとして現代的な修正や注釈が必要なことも間違いない。

職業、性別、人種、民族、といった個人が帰属するグループへの偏見によって善悪の判断を下さない、つまり「ポリティカル・コレクトネス」というやつだ。

本作『ウォークワフト』では人間とオークそれぞれのグループがボリュームとしてほぼ対等に描かれている。荒廃した故郷を捨てて人間の世界にやってきたオークたちは、現実社会での難民に相当することは明らかだ。そして人間社会にも難民を理解しようとする者もいれば、排除しようとする者もいる。そしてオークたちのなかにも融和の道を願う者もいれば、侵略を正当化する者もいる。現在のヨーロッパを「アゼロス」に、そして中東を「ドラエナー」に置き換えることを前提としたような社会的なメッセージが本作には強く反映されている。

『ロード・オブ・ザ・リング』が現状維持を願う勢力とそれを脅かす勢力を対象に、善悪を明確に規定したのに対し『ウォークラフト』はそういった単純な選別を拒否し、人間グループ、そしてオークグループそれぞれのなかに善と悪を見出そうとしている。

Warcraft Movie Anduin and Orcs

善と悪があらかじめ区別されている「絵空事」のようなファンタジーではなく、現実と同じように善と悪が交じり合っているファンタジーであるがゆえに、本作には善が悪に打ち勝つというわかりやすいカタルシスは訪れない。胸踊る大冒険ファンタジーでは全然ない。『月に囚われた男』や『ミッション:8ミニッツ』がそうだったように、本作は1.6億ドルという巨額の制作費がつぎ込まれておきながら、後味がさっぱりした映画ではない。

我々の世界がそうであるように、悪という不純物が完全に浄化されることはなく、ある意味において善は悪を内包し、悪もまた善を内包している。重要なのは相手が敵であったとして悪として排除するのではなく、互いの境界線を行き来する「対話」の可能性を残すということ。本作ではオークと人間の境界で揺れ動く、半人半オークのガノーラという女性戦士がその役割を担っている。彼女は現実世界で言う所の移民2世に近いかもしれない。

こういった強いメッセージ性が評価を分けるところだろうが、世界観の説明にはじまり対立する両者の状況、そして入り乱れるキャラクターたちの紹介と、2時間ほどの尺を思えばその手際はかなり良い。しかもそこに家族、夫婦、仲間、そしてそれぞれの社会と、守るべき存在が階層的に配置されていて、観客がいずれかの登場人物の戦う理由に感情移入しやすい作りにもなっている。

しかしやはり大作ファンタジーという触れ込みの映画としては、メッセージ性を重視するあまりエンターテイメント本来の魅力のいくつかを放棄しているようにも感じた。前述したように本作の特徴として善悪の境が不明確ということで、復讐というこの手の映画には不可欠な要素がクライマックスとして作用していない。一応は人間の騎士ローサーの復讐戦が描かれるのだが、物語のメッセージ性のおかげで、淡白な描写に留まっている。映画『ホビット』でのドワーフのトーリンとオークのアゾグの復讐合戦のように、物語全体を牽引するようなプロットになっておらず、この弊害は作品全体に影響を与えてしまっている。

少なくとも「現実を忘れるため」というファンタジーのひとつの動機は本作ではほとんど機能していない。ファンタジーと現実感が並列しており、物語への没入をいちいち妨げてくる。同じような感想は劇場版『進撃の巨人』にも抱いたが、メタファーや社会性も映画作りにおいてはもちろん重要なことだろうが、それを描くための映画作りでは本末転倒だ。

その点においてやはりピーター・ジャクソンは偉大だった。『指輪物語』に執念を燃やすピーター・ジャクソンと、ゲーム『ウォークラフト』に夢中になったダンカン・ジョーンズとでは、同じような経路を通って大作映画のディレクターズチェアに辿り着いていながら、その本質は決定的に違っている。『ホビット』ではエキストラでさえも白人にこだわったというピーター・ジャクソンだが、ダンカン・ジョーンズは異世界ファンタジーを描きながらも現代的な「ポリティカル・コレクトネス」に従い黒人もアジア人も登場させる。

この姿勢の違いは映画作りにおいてどちらが正しいということはない。重要なのはどちらが面白いかであり、その結果は明らかだろう。

『ウォークラフト』:

『ウォークラフト』のストーリー(ネタバレ)はここから

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Review Date
Reviewed Item
ウォークラフト
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3
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