映画『スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man』レビュー

無人島で絶望した男が漂着した死体と友情を育む不可思議な映画『スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man』のレビューです。絶望した男をポール・ダノが演じ、万能死体を演じるのは『ハリー・ポッター』のダニエル・ダドクリフ。不謹慎なカルトコメディかと思いきや途中からトーンは一変、ラストシーンには奇妙な感動が待っていた。

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『スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man』

日本公開未定/コメディ/97分

監督:ダニエルズ

脚本:ダニエルズ

出演:ポール・ダノ、ダニエル・ラドクリフ、メアリー・エリザベス・ウィンステッド

レビュー

インターネットのおかげで簡単に最新の映画情報を手にすることができるようになるとなかなか「想像とは違う」映画に出会う機会も少なくなる。公開の数ヶ月前から予告編もチェックでき、作品のあらすじ、そして監督や出演者のインタビューまで、作品に関する情報を大した労力を必要とせずに仕入れることができてしまう。そのせいで本編を見る前から作品への大方のイメージは出来上がってしまう。言い換えるなら現代の映画ファンというのは日本公開前からすでにその映画について知っている状態であり、実際の作品を鑑賞するということが、事前に仕入れた情報に正誤を問う「確認作業」になっていると言えなくもない。

もちろんこういった状況は映画ファンの当然の欲求に応えた進化で、だからと言って作品本来の価値や感動が目減りするものとは思っていないのだが、「予想を裏切られる」というある種の幸福な体験に出くわす確率は確実に減っているのも確か。

だからこそ本作『スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man』には余計に感動してしまった。予告編も観ていた。サンダンス映画祭ドラマ部門の監督賞を受賞したことはもちろん、観客のリアクションが賛否真っ二つに分かれ、鑑賞中に退場者が続出していたことも知っていた。つまり十分に本作に対する前知識はあったはずなのに、鑑賞中その予想から徐々に逸れはじめ、気がつくと想像もしていなかった種類の「感動」に着地していた。

絶望男と死体の友情

物語はポール・ダノ演じるハンクという男が無人島の海岸線で首を吊ろうとするシーンからはじまる。首にロープを当てがいながらもなかなか踏み台を自分で蹴り出す覚悟がつかない彼だったが、そんな時、誰もいないはずの海岸線にひとりの男が流れ着いているのを発見する。急いで走り寄ってみるもその男(ダニエル・ラドクリフ)はすでに死んでいた。

無人島に漂着したことで絶望していたハンクは、やはり自分がひとりぼっちであることを確認し、絶望をさらに深めていく。しかしハンクはその死体に話しかけ続けた。すると死体の下半身が反応し、尻から「ブブブー」とおならが出た。屁をこいたのだ。死体が。

しかも死体の屁は留まること知らず徐々に強力になっていく。これは使える。そう思ったハンクは屁をこく死体に跨り、無尽蔵の屁を動力にジェットスキーの要領で死体に乗り、無人島から脱出しようとする。

そして無人島を脱出することに成功するが、そこには人気もなかった。助けを求めるためハンクは死体を連れて移動を開始する。やがてその死体は片言ながらも言葉を話すようになり、自分をマニーと名乗る。死体のマニーは屁をこくだけでなく、口から飲み水を吐き出したり、武器になったりとまるで「スイス・アーミー・ナイフ」のような万能さでハンクを助ける。こうしてふたりは孤独を分け合いながら、不思議な友情で結ばれることになる。

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とにかく奇妙な映画なのは間違いない。

プレミア上映時には退出者が続出した主だった理由だと考えられる「死体を粗末に扱う」という描写も確かに存在する。しかもそれをコメディとして描いており、まさに「死人に鞭打つ鬼畜の所業」と反射的に拒否反応を示す観客がいたとしても不思議ではない。

しかし本作は決してそういった映画ではなかった。なぜそういう映画ではなかったのか、ということを説明しようとするとネタバレになってしまうし、そもそもその解釈が正しいのかさえ分からないほどに奇妙な作品なのだが、少なくとも「死者を粗末に扱う」ことを笑いのネタにした作品ではないことは断言できる。

観客の予想を裏切り制作者の意図とは?

ネタバレに気を付けつつ本作の「奇妙さ」を説明すると、作品の「トーンとムード」が入れ替えと往復を繰り返すことで誰にも予想できない結末を用意したことと言えるのかもしれない。

日本語でもよく使われる「トーン(Tone)」と「ムード(Mood)」という表現だが、使用上の意味では両者には厳密な違いがある。「トーン」とは制作者の意図によって作られる全体の流れである一方で、「ムード」とは受け取り手が自然に感じる全体の雰囲気を指す。つまり作品を中心として「トーン」を作る主体は制作側にあり、「ムード」を作る主体は受け取り側にある。そして「トーン」とは意図的だが、「ムード」とは自然発生的なもの。

多くの制作者は自分が意図したように観客や読者にもその意味を受け取って欲しいと願うだろうから、その思惑に従えば「トーンとムード」が同じであれば作品として成功していると言えるのかもしれない。しかし本作に限って言えば、この「トーンとムード」の関係性は意図的にはぐらかされる。しかも、何度も、繰り返し、だ。

作品の冒頭、観客は本作をコメディだと感じるだろう。しかも下品で不謹慎なコメディだ。しかし尺が進むにつれて観客には本作の非コメディ要素が気になり始める。ただのコメディとしては必要のないカットや、辻褄の合わないシーンが目立ってくる。敏感な観客は早い段階から本作をただのコメディとして受け取らなくなり、制作者の意図が全く別のところにあると勘ぐり出す。つまり「トーン(制作者)」が「ムード(観客)」を先行するような図式から「ムード」は「トーン」を追いかけはじめ、やがて「トーン」は「ムード」にいつ追いつかれるのかという問題になる。こういった流れはサスペンスやミステリーでは珍しくない。

本作のコメディ的ムードが変わり始めるのは、死体であるマニーが話しはじめた頃だった。「孤独に耐えかねる男が死体に話しかける」という行為そのものは滑稽にもなるが、「孤独に耐えかねる男に死体が話しかける」という逆の状態は異常で病的だ。このあたりから冒頭のコメディ的要素が、異常で病的な妄想の産物ではないかという疑いが観客に芽生える。すると物語は一気に青臭い青春映画の様相を表す。

これは主人公の妄想の物語であり、話すこともできる万能な死体というのは彼の孤独が産み出した「イマジナリー・フレンド」ではないのか? そうすれば荒唐無稽な設定の説明もできるのかもしれない。好きな女の子に声をかける勇気がない青年の背中を押し勇気付けてくれる、想像上の友人。「万能な死体」というのはそのメタファーなのではないのか?

こういった仮説は比較的早くから思いつくのだが、このメタファーが有効になるためには主人公は現実の世界に出ていかなければならない。現実に触れることで「イマジナリー・フレンド」は消滅する。少なくとも現実世界に暮らす人には主人公の「イマジナリー・フレンド」は見えないはずだ。しかし物語の後半、その予想はあっけなく裏切られる。

「トーン」に「ムード」が追い付いたと思ったところで、一気に引き離されるのだ。

トラがバターになる映画

本作ではこういった駆けっこ状態を演出するために意図的に、いくつもの相反する概念を物語内に配置している。「生と死」、「妄想と現実」、「男と女」、「行動と思索」、「真実と嘘」、、、、。そして最も象徴的だった「妄想と現実」という対比を「トーンとムード」に置き換えると、観客がこの物語を「現実」だと思い始めた頃に、制作者側からそれを否定する「妄想」だというメッセージが目立ち始め、そうかこれは「妄想」を描いた作品なのか、と思ったところで今度はまた「現実」に引き戻される。こういった往復運動がたった90分ほどの本編のなかで、特に後半は何度も繰り返される。

まるでマッチポンプみたいに、対立する概念を何度も行ったり来たりする模様は「ちびくろサンボ」に出てくるバターになったトラを思い出させる。本来トラは木の周りを何度回ってもバターになったりしないはずなのに童話の世界ではパンケーキの付け合わせにされてしまうことと同じように、『スイス・アーミー・マン(原題)』では対立する概念の間を何度も往復することで、その両者とも決定的に違う「何か」を表現するようになる

その「何か」とはどう転んでも言葉で伝えられそうにない。

本作の中盤を支えるテーマとはライアン・ゴズリング主演の『ラースと、その彼女』に似ているし、孤独を患う青年の悲壮という意味ではライアン・レイノルズ主演の『ハッピーボイス・キラー』も思い出した。他にも『her/世界でひとつの彼女』や『タクシードライバー』など孤独を原因とする病の発露を描く作品の系譜に位置すると思わせておいて、ラストでは「???」という驚きの結末が用意されている。その「???」という部分がただ奇妙なだけでなく、ひどく感動的なのだ。

このレビューの肝心な部分なのでもう一度繰り返すが、本作のラストには胸を揺さぶる「何か」が待っている。死体をジェットスキーみたいに乗り回したり、死体のちんぽを方位磁石代わりにしたりする映画でありながら、この映画は感動的なのだ

本作は一切の予想を裏切ってくれる。予告編を何度見たところでも、そしてどこかでネラバレに触れてしまったところで、それはきっと変わらない。しかし困ったことに予想は裏切ってくれるものの、裏切った結果が一体何なのかうまく説明できない。

映画のラストに起きる予想外の出来事とは、一体何なのか?

言葉足らずのために「とにかく奇妙な映画」としか言えないが、それそれは感動的だったのから映画というのは本当に不思議なのだ。

『スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man』:

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スイス・アーミー・マン(原題)/Swiss Army Man
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4
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