映画『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』レビュー

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ドン・チードル初監督・主演作『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』のレビューです。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスの謎の活動休止からインスパイアされた幻のテープ争奪戦を通して、音楽家マイルスの実像に迫るセミ・フィクション。これは究極のイタコ映画です。

『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』

全米公開2016年4月1日/日本公開2106年12月23日/ドラマ/100分

監督:ドン・チードル

脚本:ドン・チードル、スティーヴン・ベイグルマン

出演:ドン・チードル、ユアン・マクレガー、エマヤツィ・コーリナルディ、ラキース・リー・スタンフィールド、マイケル・スタールバーグ

レビュー

「ジャズの帝王」と呼ばれ数々の記念碑的作品を送り出していたマイルス・デイヴィスも1970年代後半になると、健康問題とコカインの乱用が影響し、音楽活動から完全に遠ざかってしまう。今では熱心な研究の成果としての「マイルス本」なる副読本が流通し、その5年に及ぶ空白期間についても様々な角度から解説されるようになったが、王様の孤独を地で生きたマイルスゆえに外部との接触も少なく、結局マイルス自身の言葉に多くを頼らざるを得ない状況は変わらず、言わずもがな、マイルスの発言は二転三転するわけで、実情としては真実は夢の中と言うところ。

本作もその意味では不確かなマイルスの5年間を描いた作品になっている。しかも監督のドン・チードルはマイルスが実際に過ごした空白期間の真贋性には目もくれず、実際に起きたことが確実なエピソードと、実際には起きていないフィクションを織り交ぜたアプローチで、マイルス・デイヴィスという人物を描こうとする。

映画のオープニング、5年の空白期からカムバックを果たしインタビューを受けるマイルスは潰れた喉から絞り出す独特の声でこう呟く。「自分だけの何かを作り出そうとする時には、限界なんてすっ飛ばされるんだ/When you’re creating your own shit, man, even the sky ain’t the limit.」

名言揃いのマイルスの言葉のなかでも有名なこのフレーズは、あらゆるジャンルを飛び越え「ジャズ」という分類さえも嫌うようになるマイルスの音楽性を表現しつつも、映画の冒頭にそれを持ってくることで作品全体をコントロールしようとするドン・チードルの意思を代弁することにもなる。オルジナルである限り特定のジャンルが持つ批評コードさえもすっ飛ばされる。

マイルス・デイヴィスの音楽がジャズやフュージョンという表現では足りず、もちろんクラシックでもロックでもないように、この『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』もジャンル分けを極端に嫌うような複雑な作りになっていた。

「複雑」と言っても「分かりにくい」ということではなく、いわゆる「伝記映画」が持つ説教臭さは皆無でエンターテイメント性が極端に高い作品になっている。ユアン・マクレガー扮するローリング・ストーン誌の記者とのやりとりは「コメディ」だし、「バディもの」でもあり、途中からは「ケイパー映画」の様相まで加わる。一方でドン・チードル演じるマイルス・デイヴィスのアンビバレントな言動の数々を通して彼の特異性を如実に物語りつつ、同時に彼の音楽的魅力まで演出している。

ここでいう「複雑さ」とは「なんでもあり」という言葉へ置き換えることができるほどに多様な印象を与える作品だった。

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© 2016 – Sony Pictures Classics

コカインに依存し部屋に閉じこもったままのマイルスはメディアから姿を消していた。ラジオではマイルスの復活を願う声が流れ、「一体マイルスはどこで何をしているのか?」というトピックが話題になっている。

そんななか、ローリング・ストーン誌の記者デイヴ(ユアン・マクレガー)はマイルスの空白期間に関する記事を書こうと、彼の自宅に押しかける。玄関前でいきなりマイルスに殴られても諦めず、逆に家に勝手に上がりこみパパラッチぶりを披露したデイヴは、金欠でコカインの入手にも困っていたマイルスに付け込み、ともに行動するようになる。

物語のきっかけはローリング・ストーン誌の記者の登場なのだが、ユアン・マクレガー演じるデイヴ・ブレイデンなる人物は架空の存在。すでに序盤から「偉大な音楽家マイルス・デイビスの真実」なんてものにはそもそも関心がないことがわかる。

すでにミュージシャンとして頂点を極めたマイルスが新しい音楽性を模索し迷走していた時期として空白期間を設定しつつ、実はすでに彼は自宅のスタジオで新しい音楽的試みをテープに録音していた。しかしある悪徳音楽プロデューサーがそのテープを盗んだことからマイルスがブチ切れ、デイヴを連れ回してのテープ争奪戦が開始される、、、。

そしてカーチェイスあり、ドンパチありのテープ争奪戦と並行して、マイルスの元妻であり『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』のジャケットにもなっているフランシス・テイラーとの思い出が描かれる。全くのフィクションであるテープ争奪戦とは反対に回想部分にはバードランドでの警官からの暴行事件や『スケッチ・オブ・スペイン』の録音風景など実話も描かれる。

エンターテイメントに徹するテープ争奪戦と、マイルス自身が自省的に振り返る形で語られるその過去との非対称性にはマイルス・デイヴィスという人物を知っていれば知っているほどに混乱するだろうし、評価も分かれるところだろう。特にデイヴとの絡みはほとんどコメディのようで、途中からはドン・チードル演じる彼が本で読んで知っているあの「マイルス・デイヴィス」には見えなくなっていく。

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© 2016 – Sony Pictures Classics

しかしそれは全然不快なものでもなく、逆にとても新鮮で最高だった。ドン・チードルがマイルス・デイヴィスに見えないのではなく、マイルス・デイヴィスがドン・チードルにしか見えなくなってしまうのだ。

本作はドン・チードル本人が10年がかりで完成させた作品で、脚本から監督、主演、製作者としての資金集めまで彼自身が背負った個人的インディー映画だった。水野晴郎が『シベ超』で水野晴郎にしか見えない山下大将を演じたところで誰からも文句言われる筋合いがなかったように、自分で金を集めて自分で脚本を書き、マイルス本人の音楽が使用できるように家族の全面協力を得たのもまたドン・チードルなのだ。そして彼はマイルスのミュージシャンとしての功績を過去のものとして懐古するような伝記映画的アプローチの一切を拒絶し、あくまでマイルスの音楽は現代にも通じるという信念のもと、今なお存在するマイルス・デイヴィスを描こうとしている。

まるでドン・チードルがイタコとなってマイルスの霊を召喚し、ドン・チードルの体を得たマイルス・デイヴィスが自分を主役にした映画を現代で撮ったような作品なのだ

これがつまらないはずない。そう思えば、本作の破天荒さとはまさにマイルスの音楽性と重なることになる。「自分だけの何かを作り出そうとする時には、限界なんてすっ飛ばされるんだ/When you’re creating your own shit, man, even the sky ain’t the limit.」という冒頭の言葉の意味がはっきりと重みを持つことになるのだ。

そしてネタバレに気をつけてラストについても触れておきたいが、某宗教団体に属さずともハービー・ハンコックやウェイン・ショーターといったリヴィング・レジェンドのご尊顔くらいは頭に入れておこう。他にもロバート・グラスパー、エスペランサ・スポルディング、アントニオ・サンチェスという現代音楽の最高峰についても知っておいて損はない。そんな彼らがドン・チードルに乗り移ったマイルスとセッションするなんてどんな夢だ。最高じゃないか。このセッションのためにマイルスは命がけでテープを守ろうとしたのだ。

もう一度言うが、最高じゃないか。

小難しい顔して「ジャズとは何か?」とか「マイルスの功績とは?」という難題をいくら背負ったところで本作は全然楽しめないだろう。マイルスが映画の冒頭で「ジャズ」という言葉に噛みつくように、これはジャズについての映画ではない。本当はトランペットを吹けないドン・チードルが「自分だけの何か」を作り出そうといして模索し迷走しつつ、それでも完成させた彼の映画だ。そしてマイルスの音楽に僕らが今でも惹きつけられるのと同じように、この映画にも人を熱狂させる何かが、確かにあった。

『MILES AHEAD マイルス・デイヴィス 空白の5年間』:

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Miles ahead poster

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