コーエン兄弟監督作『ヘイル、シーザー!』レビュー

ジョエル&イーサン・コーエン兄弟監督作『ヘイル、シーザー!』のレビューです。ジョシュ・ブローリン、ジョージ・クルーニー、スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタムら豪華スター共演で描かれる1950年代のハリウッドの滑稽な真実!?

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『ヘイル、シーザー!/Hail,Caesar!』

全米公開2016年2月5日/日本公開2016年5月13日/コメディ/106分

監督:ジョエル&イーサン・コーエン兄弟

脚本:ジョエル&イーサン・コーエン兄弟

出演:ジョシュ・ブローリン、ジョージ・クルーニー、スカーレット・ヨハンソン、チャニング・テイタム、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、レイフ・ファインズ、ジョナ・ヒルなど


レビュー

コーエン兄弟最新作『ヘイル 、シーザー!』が1950年代のハリウッドを舞台に過ぎ去った自称「古き良き時代」の映画界を振り返りつつも、同時に90年代はじめのコーエン兄弟の名声がまだ不確かだった頃の自らのフィルモグラフィーをなぞるような、二重三重の皮肉と自虐がヒリヒリする絶品のコメディだった。

舞台は1950年代のハリウッド。主人公のマニックス(ジョシュ・ブローリン)はスタジオの責任者でありながらも実際にはスターたちの不祥事を影で処理する「もみ消し屋」だった。スキャンダルを事前にもみ消し、女優が妊娠すればキャリアに支障をきたさないように里親を探したりする。おかげで辞めたはずのタバコについつい手が出てしまう。

そんなある日、マニックスのもとに脅迫状が届く。曰く、超大作映画に主演するスターのウィットロック(ジョージ・クルーニー)を誘拐したというのだ。こうして一筋縄ではいかない映画人たちを巻き込んだ誘拐事件は、一体どこへ向かうのだろうか?

1950年代ハリウッドの狂想曲として描いている『ヘイル、シーザー!』では、登場人物の多くには実際のモデルが存在する。

主人公のマニックスとは、その名もずばりエディー・マニックスという著名なプロデューサー兼もみ消し屋をモデルにしている。2002年に公開されたジョージ・リーヴスの死の真相を描く『ハリウッドランド』では、謎の真相に近いと思われる妻トニーと不思議な関係を築いているMGMの重役として登場しているが、本作とは印象は随分と違う。

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そして『ヘイル、シーザー!』では狂言回しのような役所となるアルデン・エーレンライクが演じるボビー・ドイルとは、B級西部劇役者でありながらなぜかオーソン・ウェルズの『偉大なるアンバーソン一家の人々』に出演したティム・ホルトだろう。

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他にもティルダ・スウィントンが2役演じるゴシップ、もとい芸術コラムストの姉妹とは、ルエラ・パーソンズとヘッダ・ホッパーだ。新聞のコラムが異常なまでに権力を持った時代の芸能リポーターで、ハリウッドの色恋はまずこのふたりに相談しなければならないという掟まで存在し、それを破れば業界から干されてしまうとまで言われた。彼女たちが褒めるか貶すかで興行が左右されるほどの影響力を持った人物で、言うなれば1950年代ハリウッドの硬直化の象徴のような存在だ。

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他にもチャニング・テイタム演じるミュージカル・スターは『雨に唄えば』のジーン・ケリーだったりと、本作の登場人物のおそらく全てには実在のモデルがいるようだ。そしてこういった1950年代の映画トリヴィアを通し、コメディとして描かれる当時のハリウッドの異常性もまた透かし見えることになる。

『ヘイル、シーザー!』の時代とは、40年代後半から倍々と普及してきたテレビを前に、銀幕のハリウッドは保守的な傾向に陥っていた時期だ。スタジオは既得権益を守るために巨大化、そして硬直化していき、自由で画期的な作品表現の場として映画がテレビに遅れをとることになる。結果、現実的な作品は少なくなり、夢物語のようなロマンスや懐古的な映画が多く作られる。それが50年代になって本格化する赤狩りの台頭を招くことになる。映画の価値が「愛国が否か」もしくは「社会に有益か否か」という作品の本質とは全く違う文脈で決められることになり、数々の優秀な映画人たちが「共産主義者」という烙印を押され映画界から追放、もしくは自発的にアメリカを捨てていった。

本作ではそんな重苦しい空気の要因となった出来事のすべてがコメディとして切り取られている。やがては赤狩りの犠牲となりハリウッドから干される「ハリウッド・テン」の面々もずいぶんと呑気で空っぽな映画人として描かれ、劇中に登場する歴史大作映画にも描かれるように、コーエン兄弟は「映画作りとはキリストを殺してしまうほどに罪深いものだ」とでも言いたいようだ。わざわざ映画の冒頭の終わりにマニックスに罪の告白までさせている。

そういった意味でも本作はコーエン兄弟の『バートン・フィンク』(1991)と精神的につながった作品であり、『バートン・フィンク』の次に豪華キャストで挑んだ『未来は今』(1994)の物語外の顛末を彷彿とさせる。

ハリウッドに来たことでスランプに陥った脚本家の悲喜劇を描いた『バートン・フィンク』の大成功から、ジョエル・シルバーをプロデューサーに迎え大規模な制作費を投入して作られた『未来は今』では、その制作費を回収するためにジョン・タトゥーロやスティーヴ・ブシェミといったお馴染みの俳優ではなくティム・ロビンスやポール・ニューマンというスター俳優を起用することを余儀なくされ、結果、興行的に大惨敗することになる。

この経験がコーエン兄弟にとって痛い教訓となったのだろう。それから押しも押されぬ大監督になり、並いるスター俳優をこぞって起用しながらも、『未来は今』の4000万ドルという制作費を超える作品は2003年の『ディボース・ショウ』だけだ。『ヘイル、シーザー!』も主役級の俳優たちが多数出演していながら制作費は2200万ドル。いわゆるハリウッドシステムで映画を作ることに懲り懲りしたのだろう。その思いを本作ではマニックスに重ねているのかもしれない。

1950年代というハリウッドの過渡期を舞台に、その映画システムを滑稽に笑い飛ばしながらも、同時に90年代前半の自分たちのフィルモグラフィーの皮肉にもなっている。加えてテレビと映画の垣根がこれまで以上に低くなり、映画の大作化傾向に歯止めがかからなくなっている現在のハリウッド映画に対しても、映画そのものを通して疑問を投げかけている。もちろんゲラゲラと笑いながらではあるが。

とかく難しげな顔で映画について語りがちな昨今だが、コーエン兄弟の手にかかればそれさえも高品質な滑稽さとしてコメディに仕上がってしまうのだ。その手際の素晴らしさには思わず「バンザイ!/hail」と掛け声を送りたくなるほどだった。

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