映画『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』レビュー(ネタバレあり)

マーベル最新作『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のレビューです。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』後の物語で、これまでアベンジャーズを代表していたキャプテン・アメリカとアイアンマンの後戻りのできない対立を描く。正義と復讐の危険な関係の行く末とは?

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『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』

全米公開2016年5月6日/日本公開2016年4月29日/147分

監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ

脚本:クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー

出演:クリス・エヴァンス、ロバート・ダウニー・Jr、スカーレット・ヨハンソン、セバスチャン・スタン、アンソニー・マッキー、エミリー・ヴァンキャンプ、ドン・チードル、ジェレミー・レナー、チャドウィック・ボーズマン

レビュー

ほんの十年ほど前ならば、星条旗をかたどったコスチュームを身にまとったスーパーヒーローが小難しい顔で哲学書を読んでいたとしたら、たちまち失笑を買っていたことだろう。

しかし2016年『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』を鑑賞してしまえば、もうそんなスーパーヒーローをバカにすることもできないのかもしれない。「キャプテン・アメリカ」という名前が指し示すような全身全霊で「アメリカ」を象徴していたスーパーヒーローが、ついに分かりやすい正義に疑問を抱いてしまう。物語上で本作に繋がる『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』での市街地大破壊をきっかけに、「社会的正義とは何か?」という疑問に目覚めたキャプテン・アメリカがジョン・ロールズの『正義論』を読んでいたとしても驚きはない。

物語はそれぞれの「正義の結果」の受け取り方の違いによって、対立が煽られ、混乱し、やがては袂を別つことになる。

きっかけは『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で描かれた小国ソコヴィアでの大破壊にある。超人的な力を持つアベンジャーズはこれまでも世界の危機に国境を越え団結して戦ってきたが、同時にその被害も甚大だった。アメリカを代表する大富豪のアイアンマンや、星条旗を模したコスチュームを着たキャプテン・アメリカなど、メンバーのほとんどがアメリカ人のグループが「地球の危機」を理由にアメリカ国外で好き放題暴れまわっている。この状況に危機感を抱く各国は国連の支配下にアベンジャーズを置いて、出動の際にはその許可が必要とするような法整備を急ぐ。それが「ソコヴィア協定」だ。

その協定にサインするかしないか。つまりはアベンジャーズの意思を国際的な権力に委ねるのか、それとも自らの正義として行動するのか、という二者択一を迫られた結果、アベンジャーズの面々がきれいに真っ二つに別れる。

そしてその内部対立と並行して、キャプテン・アメリカことスティーヴ・ロジャースにとっては親友でもあり、その後ウィンター・ソルジャーという人間兵器となったバッキー・バーンズが爆破テロ犯として指名手配されてしまう。親友のバッキーを信じるキャプテン・アメリカは政府の決定に背き、彼を守る戦いに身を投じ、このことでアベンジャーズはキャプテン・アメリカとアイアンマンの陣営に分かれ、それぞれの正義の対立は避けられなくなる。すべては正義のせいだ。

「正義」という言葉の意味はいくらでも分解可能だ。それでも行為としての正義は大きく「積極的正義」と「消極的正義」に分けられる。

「積極的正義」とは理想的社会の実現のために必要な行為を実行することを指し、「消極的正義」とは道徳や倫理に基づいた内的行動を指す。差別主義者を糾弾することは「積極的正義」であり、差別主義とは付き合わないことが「消極的正義」に当たる。何だかスーパーヒーロー映画のレビューにはそぐわない内容になってきたが、結局は『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で語られる正義の衝突とは、それぞれの正義に対して積極的であるか、消極的(内的)であるかという違いに求められるだろう。

もし仮に世界中の人々が同一の正義を信奉して「消極的正義」を実行した場合、他者との軋轢はほとんど生まれないため「積極的正義」はほとんど必要ない。しかし実際は倫理や道徳や正義とは時代や文化によっていくらでも変わるものであるため、「消極的正義」のあり方も普遍的ではない。そこで問題の是正に「積極的正義」が採用される場合、争いがおこる。争いが起これば必ず、形はどうあれ、被害者が生まれる。全く関係のない誰かが被害を受けることも往々にしてあり得る。こうして被害を被った側は一方的な「積極的正義」に対して嫌悪感を強め「消極的正義」からさらに遠ざかっていく。憎悪の連鎖を正義という文脈で簡単に説明するとこうなる。

その意味で『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で描かれる正義の対立とは、「ただ一つの正義は存在するのか?」という命題に対して、それはどこかに存在するという前提で積極的に関与していこうとするキャプテン・アメリカと、そんなものは無いのかもしれないという諦めに近づいたアイアンマンとの、根本的な考えの違いが生んだものと言える。

キャプテン・アメリカとは貧弱だった自分のコンプレックスを愛国心で乗り越えたというポジティヴな動機によって出発したスーパーヒーローであるのに対し、アイアンマンは自分のビジネスが間接的に大量虐殺に加担していたことへの罪滅ぼしというネガティヴなスーパーヒーローだ。この両者のスーパーヒーローとしての陽と陰が、文字通りポジとネガの違いとなって描かれる。写真においてポジでは明るさが白として暗さは黒として表現される。一方でネガではそれが反転し暗さが白く明るさが黒となるのと同じように、アイアンマンの正義とは消極的(ネガティヴ)であるがゆえに反転しやすい。一方でキャプテン・アメリカはどれだけ悩もうが「正義」に対して常に肯定的な立場は崩さない。決してニヒリズムにならない。

これまでの『アベンジャーズ』の2作で繰り返し描かれていたキャップとアイアンマンの衝突とは、それぞれのスーパーヒーローのきっかけとなった正義感の決定的な違いが生んだもので、その対立はどこかで先鋭化することは時間の問題だったのだろう。

一本の映画として観た場合、アクションの切れ味が最高レベルに洗練されていた。それぞれの個性がアクションにも生かされ、本作から登場するブラックパンサーとスパイダーマン、そしてアベンジャーズ初参戦となるアントマンの新顔がこれまでにない魅力を加えてくれている。特にブラックパンサーの存在は、対立する二つの正義のどちらにも属さない第三極として示唆されており、今後のシリーズの主要キャラクターになりそうな予感だ。

それでも登場する多彩なキャラクターの強烈な個性と比べると、物語そのもののスケール感が小さくなってしまっている。もちろんこれは『キャプテン・アメリカ』であって『アベンジャーズ』ではないのは知っているが、ライバルとなる『バットマン vs スーパーマン』の大風呂敷と比べると物足りなさがあった。

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<ここから『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のネタバレを含みます>

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ストーリーそのものはシンプルだ。

「ソコヴィア協定」への参加を巡って政府権力側についたアイアンマン陣営と、独自の正義感での活動を目指すキャプテン・アメリカ陣営は、ウィンター・ソルジャーの処遇を巡ってついに戦闘状態に陥る。ウィンター・ソルジャーにかけられた国連ビル爆破容疑は実はソコヴィアでの悲劇で家族を失った一人の男によって作られたシナリオだと知ったキャプテン・アメリカは、その陰謀を阻止しようと動き出すも「ソコヴィア協定」にサインしたアイアンマン陣営が立ちふさがることになる。

陰謀の目的を暴くためにシベリアへ向かおうとするウィンター・ソルジャーとキャプテン・アメリカだが、国連ビル爆破によって父親を殺され復讐の鬼となったワカンダの王子ブラックパンサーは、冤罪とは知らずにウィンター・ソルジャーに襲いかかる。

互いの信念と責任がぶつかり合う中、両者の陣営はそれぞれに新しい仲間をリクルートし、とうとう昨日までの仲間たちが互いを傷つけあうことになる。

、、、という流れから最後に一捻りが待っている展開で、ストーリーそのものは単純といってしまってもいい。サスペンスはほとんどなく、サプライズが二三用意されている。それでも147分という時間を必要としていることから、本作にどれほど多くのキャラクターが関わっているのかがわかる。しかもそれぞれにしっかりと見せ場まで用意されており、MCUの新作を見ることが当然となっている映画ファンには楽しみが満載な一方で、それ以外の一見さんや、『アベンジャーズ』のみ知っている程度の観客にはほとんど必要ないと思われるようなプロットも多い。それでも物語に直接関与しないシーンが今後の伏線にもなっていることがMCUの魅力なので、『アントマン』を見ていないのはもったいない。

新キャラクターで物語に大きく関わるのはワカンダの王子で父を殺されたブラックパンサーことティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)だ。 『アベンジャーズ』においてキャプテン・アメリカとアイアンマンがそうだったように、本作ではブラックパンサーとダニエル・ブリュール演じるバロン・ジーモがポジとネガの関係になっている。キーワードは正義と復讐だ。

正義と復讐とは言葉のニュアンス以上に実は近しい存在だということは本作を観ればよく分かる。『忠臣蔵』を圧倒的美談として受け取る日本人には当たり前のことかもしれないが、「正義」には多様な受け取りが可能なことからも、そこに純然たる理由があれば復讐もまた正義である。ブラックパンサーは父親の復讐としてウィンター・ソルジャーを殺すことを当然の正義だと考え、政府もまた危険なウィンター・ソルジャーを殺すことが社会的正義だと考える。この行動原理そのものは、ソコヴィアで家族を殺されたためにその原因となったアベンジャーズを壊滅させるようとするバロン・ジーモと全く同じだ。

MCUという大きな流れにおいては本作はキャプテン・アメリカとアイアンマンとの正義の結果の対立なのだが、一本の作品としてはブラックパンサーとバロン・ジーモの復讐の結果の違いが物語を象徴している。物語としてはブラックパンサーとバロン・ジーモが初めて相見える場面で終わっている。なぜならそこで互いの復讐心に決着がつけられるからだ。復讐心に正義心を毒されたバロン・ジーモと、復讐心を正義心で浄化したブラックパンサーの邂逅シーンは、同じく復讐に我を忘れるアイアンマンとキャップとの印象的なラストにも繋がっている。

人は不正義に対してはひどく敏感に反応するが、その結果としての復讐の正義については恐ろしく鈍感だ。バロン・ジーモ、「ソコヴィア協定」、そしてアイアンマンがその事実が強調している。

そしてその事実が同時に表すのが本作におけるヴィランの不在である。例え誤った復讐とはいえ正義の一形態と捉えることが可能な対立関係ゆえに、敵を打ち負かすというスーパーヒーロー映画のクライマックスが本作にはない。果たしてそれでいいのだろうか? 政治哲学の分野では「正義」の対義語とは「悪」ではなく「もう一方の正義」であるというのはよく知られているが、哲学的なキャプテン・アメリカとはハンガーバーを捨てたアメリカ人みたいで、ちょっとしっくりこない。

敵を打ち負かさないスーパーヒーロー映画という意味でも、本作は案外『ウォッチメン』に近いのかもしれない。(了)

『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』:

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シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
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4
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