映画『アスファルト』レビュー

『歌え! ジャニス★ジョプリンのように』のサミュエル・ベンシェトリ監督作『アスファルト』のレビューです。廃れた団地を舞台に孤独を抱えた6人の男女が織りなす不思議な3つの出会いを描いた群像劇。イザベル・ユペールが落ちぶれた女優を演じ、マイケル・ピットが不時着した宇宙飛行士を演じる。

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『アスファルト』

日本公開2016年9月3日/ドラマ/100分

監督:サミュエル・ベンシェトリ

脚本:サミュエル・ベンシェトリ

出演:イザベル・ユペール、ギュスタブ・ケルバン、バレリア・ブルーニ・テデスキ、タサディット・マンディ、マイケル・ピット

レビュー

移民や低所得者たちが暮らす寂れた団地で小さな問題が起こっていた。団地のエレベーターが度々故障し、中に閉じ込められる人、火傷をしてしまう人が続出し、堪りかねた住人は管理費を徴収する形でエレベーターを修理しようとする。そのためには住人の同意が必要だった。多くの住民が賛成するなか、団地の二階に暮らしエレベーターを使うことのない中年男だけが反対し、結局、彼は管理費を払わなくてもいいがその代わりエレベーターは使わないということで合意する。

物語はこういったやり取りから始まる。

エレベーターの修理費を払うことを拒否した中年男は、エクササイズ中の事故で車椅子生活になってしまい、エレベーターを使わなざるを得ない状況になっていた。しかし孤独で偏屈な彼は、住民に気づかれないように深夜にこっそりとエレベーターを使い外に出かけるようになる。そして男は近くの病院の自動販売機でお菓子を買って帰ろうとするときに夜勤の看護師と出会う。彼女にあっという間に恋をしてしまった男は、自分を『マディソン郡の橋』のクリント・イーストウッドに擬えて、世界中を旅するカメラマンと嘘をつく。団地の管理費を渋ったことでエレベーターを昼間に使えず、そのせいで男は夜の病院で彼女と出会った。

そんなオンボロ団地には、偏屈中年男以外にも、鍵っ子の少年や落ちぶれた女優、息子が刑務所にいるアルジェリア移民の老女たちも暮らしており、加えてある日、団地の屋上にはNASAの宇宙飛行士が不時着してくる。

どこにでもいそうな変哲のない人々の、どこにもない不思議でユーモラスな出会いは、寂れた団地に暮らす人間模様に少しずつ色を加えていくことになる。

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(C)2015 La Camera Deluxe – Maje Productions – Single Man Productions – Jack Stern Productions -Emotions Films UK – Movie Pictures – Film Factory

本作では6人の男女の3つの出会いを描いている。車椅子生活となった中年男性と夜勤のくたびれた看護師。団地に越してきたばかりの落ちぶれた女優と隣の部屋に暮らす鍵っ子の少年。そしてアルジェリア移民の老女と不時着したNASAのアメリカ人パイロット。この6人の人物設定はどれも実在するものなのに、それが寂れた団地を舞台にすると一気に不思議な物語へと変貌していく。とにかくユーモラスで、奇想天外な展開が淡々と進んで行くあたりは、ウェス・アンダーソン監督作品を彷彿とさせるが、本作はコメディでありながらもどこか絶望的な憂いも含んでおり、非現実と現実とのバランスが絶妙だった。

特にマイケル・ピット演じるアメリカ人宇宙飛行士とアルジェリア移民の老女との出会いのプロットは本作のトーンを決定づけている。本来なら宇宙にいるはずのアメリカ人宇宙飛行士は何かに吸い寄せられるようにしてフランスのどこかにある寂れた団地の屋上に不時着する。言葉も通じない団地のなかで途方にくれる宇宙飛行士だったが、アルジェリア人老女は言葉の通じないアメリカ人を優しく向かい入れ、自分の息子のように歓迎する。そしてNASAから救助隊が到着するまでを彼女の部屋にかくまってもらうことにする。

本作がウェス・アンダーソン作品に通じるもうひとつの理由というのは、劇中で描かれるコミュニケーションの不器用さにある。フランス語を話せないアメリカ人宇宙飛行士はもちろんのこと、車椅子の中年男と夜勤の看護師との出会いや、元女優と鍵っ子との出会いでも、コミュニケーションの微妙なズレが、奇妙な暖かさの源になっている。

車椅子の男は『マディソン郡の橋』のフランス語吹き替えを鑑賞していた影響で、偶然出会った夜勤の看護師相手にまるでクリント・イーストウッドになったかのように、自分の職業をカメラマンと詐称することになる。フランスでは『マディソン郡の橋』のようなメロドラマは、「芸術的」作品とはみなされず、しかも吹き替え作品もまた軽んじられる傾向にある。つまりこの中年男のダサさが強調されているのだが、一方で彼の言動はチャーミングとも言えるほどに人間らしい。

自分が使わないエレベーターには一銭も払いたくない。結局は車椅子生活になりエレベーターを使わざるを得なくなるのだが、そんなダサい自分は誰にも見せたくないから夜中に誰もエレベーターを使わなくなってからこっそりと外に出る。とても馬鹿らしい言動に違いないが、それは誰もが隠し持った本音でもある。そんな想いを不器用に体現する彼は嘘つきでダサくても、なぜか応援したくなってしまう。

そしてそんな分かりやすい嘘をつく中年男を、くたびれた夜勤の看護師はなぜか信用してしまう。「インターナショナル・ジオグラフィック」で「ガンジー」の写真を撮ったりしているなんて、ちょっと考えれば嘘っぱちだとわかる。ガンジーは死んでもう70年近く経っているのだ。それでも彼女は、クリント・イーストウッドになりきる冴えない男の言うことを真に受ける。彼女もまた知らず知らずのうちに、アイオワの田舎で運命的な出会いを果たすメリル・ストリープになりきっていたのだ。

そしてもうひとつの出会いである、落ちぶれた女優と鍵っ子の少年との関係も印象的だった。かつては美貌を売りに映画にも出演していた女優が、なぜ寂れた団地に引越てきたのか。そしてその隣には鍵っ子で映画に関心を持つ生意気な少年がいた。ある夜、起死回生を狙った舞台のオーディションで惨敗。それもそのはず彼女が演じようといていた役柄は15歳の絶世の美女という役柄だった。それを聞いた少年はカメラ片手に彼女に演出を施す。15歳の美少女ではなく、90歳の悪女を演じさせるためだった。こうして引越し直後の団地の一室は、ベテラン女優と新人監督のテスト撮影の場と一変する。

お互いの認識や常識の微妙なズレが、それまで出会うことのなかった人々の生活を少しずつ変えることになる。

最後に本作の舞台でもある寂れた団地の魅力にも言及したい。劇中で描かれる3つの出会いはそれぞれが無関係のままに幕を閉じることになる。いわゆるグランド・ホテル形式であっても、並列するストーリーが最後には同じ場所に着地するという作品とは少し違っている。それでも3つの出会いに共通しているのは、団地のなかに時々鳴り響く不思議な音の存在だった。それは誰かの叫び声のようでもあり、赤ん坊の泣き声のようもである。またアルジェリア移民の老女には幽霊の声にも聞こえる。その音の正体については劇場で確認してもらうとして、この団地はまるで意思をもった「いきもの」のようなのだ。

エレベーターを壊したり、宇宙飛行士を引き寄せたり、すべてが意思をもった団地のちょっとした気まぐれにも思える。その結果、これまで出会うことのなかった誰かと想いを通わせるという小さな奇跡が起きる。そのひとつひとつが偶然で不可思議で非現実的であればあるほどに、団地の意思を感じずにはいられない。

便所にだって神様はいるらしいのだから、団地に神様が住んでいても別にいいはず。とても奇妙で不可思議な作品だけど、等身大の奇跡は嵐のような運命的な恋よりもずっと感動的だった。

『アスファルト』:

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