映画レビュー|『レッド・アーミー 〜表情の熱き冷戦〜』-政治とスポーツの心中

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『レッド・アーミー 〜表情の熱き冷戦〜/RED ARMY』

全米公開 2015年1月23日/アメリカ・ロシア合作/84分

監督:ゲーブ・ポルスキー

脚本:ゲーブ・ポルスキー

出演:スラヴァ・フェティソフ、スコテッィ・ボウマン、ウラジミール・ポズナー他

あらすじ(ネタバレなし)

1970年代、冷戦によって世界が東西に分断される中、ソ連のホッケーチーム「レッド・アーミー」は圧倒的な強さを世界中に証明していた。

一方でソ連は最強の「レッド・アーミー」をソビエト体制の優秀さを喧伝する政治的プロパガンダとしての役割も担わされる。華やかな西側諸国の実情に憧れながらも、人格を無視した苛烈なソ連式トレーニングを押し付けられる選手たちは、やがてソ連崩壊の足音ととにNHLへと戦いの場を求めるようになる。

「レッド・アーミー」の象徴的選手で、NHLでも活躍したビャチェスラフ・フェティソフの回想を通して、ソ連体制の歪みを指摘しつつも、鉄のカーテンに覆われていた人々の本当の姿を描き出す。

レビュー

イデオロギーとスポーツが心中するとどうなるか?:

海外の「トマトが腐った」評価サイトでは96%という高得点を記録しているドキュメンタリー映画『レッド・アーミー 〜表情の熱き冷戦〜』はアイスホッケーという日本ではあまり馴染みのないスポーツの裏側を扱っていながらも、1970年代からソ連崩壊までの体制とアイスホッケーとの歪んだ関係に象徴されるソ連の特異性を描きつつ、同時に主義主張の違いを超えた個人と国家の関係にまで言及する秀作だった。

本作はソ連時代のホッケーの英雄的選手であるも、その後ソ連ホッケーチームと決別し、NHLに移籍し成功を収めたビャチェスラフ・フェティソフの半生を通して描かれる。社会主義と民主主義の両陣営が互いの優位性を激しく喧伝し合う時代にあって、ナショナルチームの活躍は往往にして体制のプロパガンダへと変貌する。特にソ連にとってアイスホッケーは極めて重要な競技だった。アイスホッケーはソ連と激しく対立するアメリカでも広く浸透したスポーツであり、それゆえに両国にとっては政治的な領域とも重なるようになる。特にオリンピックでの優勝は至上命題として掲げられ、そのため本来は賞賛され国家的英雄であるはずの選手たちは政治プロパガンダの歯車として、まるで体制のために育てられた「マシーン」のように感情を無視されて厳しいトレーニングを課されることになる。一年の11ヶ月は施設に隔離され休みもほとんど与えられず、選手の子供たちにとって父親は写真のなかの存在でしかない状況だった。

そしてビャチェスラフ・フェティソフはソ連のナショナルクラブ「レッド・アーミー」の主将に選ばれるも、やがてはこのソ連式ホッケーの在り方に反発し幻滅に至り、ソ連の崩壊の足音を聞きながら「夢の国」アメリカに渡っていく。

本作では冷戦期におけるソ連のアイスホッケーを通して、スポーツと国家の奇妙な関係のなかに主義主張を超えた普遍的な矛盾が秘められていることを描き出している。当時の「レッド・アーミー」の強さは圧倒的だった。アメリカやカナダでも歯が立たず、何より彼らのプレーは芸術的なまでに美しかった。当時のニュースフィルムを見ても「レッド・アーミー」の強さが際立っていたことがよくわかる。氷上の5人が寸分違わぬイメージを共有するようにしてパックは正確にスティックに煽られて然るべき別にスティックに収まり、やがてはゴールに吸い込まれる。彼らは間違いなく最強のホッケーチームだった。

しかしその最強チーム完成の裏には徹底した選手管理とKGBによる監視が行われ選手たちの精神は極度に疲弊していく。厳しい新監督のもと、すでに最強だったチームはさらに強くなることを求められる。なぜなら彼らは勝つことを目的として作られたチームではなかった。勝つことならば今まで通りでよい。しかしもはやアイスホッケーはただの競技ではなく、ソ連の象徴として社会主義の優位性を証明するためのプロパガンダだった。「レッド・アーミー」はアイスホッケーに勝つことで、ソ連という存在の偉大さを証明することを義務付けられていた。

なるほどソ連とはヒドい国だ。アメリカがいうように鉄のカーテンで覆われた冷たい国ソ連。まさにそのイメージぴったりだ。しかしここからが面白くなる。単純なドキュメンタリーとしての事実の列挙に終わらずに、当時のソ連へのイメージの塗り替えとともに、素朴な疑問もこっそりと提出している。それは国家のために個人を犠牲にして構築された「レッド・アーミー」は、選手たちへのソ連的自己犠牲の強要によって最強になり芸術の域に達したという事実だ。正確には、個よりも全体を重要視する社会主義的イデオロギーが、アイスホッケーという競技においては(もちろんそれに限らない)個を重要視する民主的チームを圧倒したという事実だ。

しかし少なくともホッケーでは半ば証明されたソ連の優位性は、民主的なチームとの戦いによってではなく、内部の反発によって崩れ去っていく。そしてソ連の指導者たちが望んだ方向と正反対の結果として、ソ連崩壊とともに多くのホッケー選手がアメリカやカナダへと移っていき、ソ連のアイスホッケーは体制と同義であることが崩壊によって証明された。そして「レッド・アーミー」の芸術的な強さは、ソ連ととも消えていってしまう。

本作が興味深い理由として、監督や語り手のビャチェスラフ・フェティソフがともに、冷戦期のソ連ホッケーに対して未だに未練があることが示唆されていることが挙げられる。ソ連はその後ロシアとなって大きく変貌する。これまでの質素で均一な生活環境は一変し拝金主義がまかり通るようになった。そこではホッケーは重要視されない。スポーツよりも金、国家よりも個人という考え方が浸透した現代ロシアに対してビャチェスラフ・フェティソフは苛立ちを隠さない。徹底した管理体制に抗議してチームを去った過去を持つ彼が、その行為を擁護してくれる拠り所にもなる個人主義を手にしたロシアに違和感を隠さない。そしてフェティソフはロシアに帰り、指導部のひとりとしてソチ五輪に関わるも、そこで「レッド・アーミー」の再来とはならなかった。ロシアのナショナルチームはフィンランドに負けてメダルを逃した。そして現在ではフェティソフは国家のために強い気持ちで戦おうとしない今の選手に批判的でさえある。

それはアメリカ生まれのウクライナ移民の子供である監督にも同じことが言える。社会主義を嫌ってアメリカに移り住んできた子孫にとって、ソ連の光と影は正誤によって語られるものではないのだろう。監督もまた「レッド・アーミー」が作られた背景には共感せずとも、彼らのプレーには強い憧れを持っていることがよくわかる。当時の選手たちを国家の犠牲者としてのみ扱っていないことも共感できる。

国家とスポーツとの関係は決して単純なものではない。スポーツでの国威発揚は望ましくないと思っていても、オリンピックになれば日本人の活躍に感動してばかりの我々の心情の裏には、やはり日本代表として他国代表を打ち負かす選手の活躍には抗いがたい興奮があるからだろう。

ソ連という体制だったからこそ生まれたアイスホッケーの最強チーム「レッド・アーミー」。生まれた背景がどうであれ、彼らが最強であったという事実はスポーツと国家の関係、ひいては個人と国家、そして個人とスポーツという問題について考える契機となるだろう。

2020年、日本中が日本人選手の活躍を応援することになるだろう。そして期待された活躍ができなくて批判にさらされる選手も出るだろうし、逆に新世代のヒーロー/ヒロインも登場するだろう。そんな時にこそ本作を思い出したい。選手たちが東京で残すだろう結果とは、日本という国の政治的優位性や民族的な優秀さとは全く無縁の結果であるということ。頑張ったのは選手たちで日本という国家ではないし、僕でもあなたでもない。それは「レッド・アーミー」を観れば明らかだ。

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ということで『レッド・アーミー 〜表情の熱き冷戦〜』のレビューでした。本作はすでにiTunesやAmazonでVODとして視聴可能ですので、興味のある方は是非ごらんください。ドキュメンタリーとして非常に面白かったです。特にフェティソフが非常に魅力的で、ロシア人の冷たいという印象を逆手に取った人柄は本作でも重要なポイントになっています。またソ連崩壊とともにバラバラになった選手たちの友情物語としても面白いです。おすすめです。以上。

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