【映画】『ノア 約束の舟』レビュー

ラッセル・クロウ主演、ダーレン・アロノフスキー監督による旧約聖書の創世記に登場する物語「ノアの箱船」の映画化作『ノア 約束の舟』のレビューです。公開と同時に宗教的な論争を巻き起こした本作ですが、なかなか掴みどころの難しい映画でした。日本公開は2014年6月13日。

Poster

・ストーリー

少年だったノアは、父親がトゥバル・カインによって殺されるところを目撃する。やがて大人になり、妻と3人の子供に恵まれたノアは貧しいながらも、創造主の教えに従い慎ましく生きていた。そしてある日、ノアは不毛の大地に一輪の花が咲くところを目撃し、やがて水のなかに沈んでいく無数の屍の夢をみる。それは堕落した人類へ向けた創造主の怒りであった。

突然訪れた啓示の意味を探るべく、祖父の探す旅にでたノアの一族は、途中の廃墟のなかで傷を負った少女を発見する。そして彼女の手当をしている途中に、因縁のとトゥバル・カインの手下たちと遭遇、必死になって逃げ込んだ先は堕天使である石のゴーレム「ウォッチャー/番人」が支配する一帯だった。「ウォッチャー/番人」の威嚇のため追手は去り、そして祖父の元に辿り着いたノアは、エデンの園からもたらされた植物の種を受け取る。そしてその種を不毛の大地に埋めると、一帯に水が溢れ、瞬時に大地に緑が溢れた。奇跡を目の当たりにした「ウォッチャー/番人」はノアの一族に従うことを決意、そして啓示にあった大洪水から無垢なる生命を守るために、巨大な箱船を建設する。

ノア、妻のナーム、三人の息子であるセム、ハム、ヤペテ、そして養女であるイラの5人は、来るべく大洪水に備え「ウォッチャー/番人」らとともに箱船を建設する。しかしそこには洪水後の世界に女が1人しかいなくなるという問題が絡み、セムとハムは反目することになる。そして新たに宿る命。

無垢なる生命とは一体何か?救済は誰に向けられるのか?創造主がノアに課した役割とは何なのか?ノアが苦悩の淵でもがくなか、箱船を狙うトゥバル・カイン。

そこでノアが下す決断とは?

・感想、そして原作(聖書)との相違点について

世界で最も読まれている本(聖書)のなかで、人類の直接の起源の発祥を描くノアの箱船に関する物語について知らない人はおそらくいないだろう。また物語内で描かれる大洪水やアララト山に辿り着いたとされる箱船の実存を巡る話題もよくニュースとなる。そういった物語を、正統な布陣で映画化に踏み切った本作。その心意気は評価に値する。

まず『ノア 約束の舟』と旧約聖書『創世記』に登場するノアの箱船伝説との大きな相違点を指摘したい。

物語の骨格に関係する最も大きな改変ポイントは、箱船に乗ったノアの一族の数である。本作ではノア、妻のナーム、三人の息子、そして1人の養女の5人となっており、この設定が物語後半に訪れるノアの葛藤を要因となるのだが、原作(聖書)では箱船に乗る人間の数は8人で、三人の息子にはそれぞれ妻がいることになっている。海外での本作を巡る宗教的論争もこの部分にかなり集中している。

そして本作ではノアが繰り返し問答するノアの息子たちが「人類最後の一族」であるという呪いのような執着が描かれるが、原作(聖書)では、文字通り神の視点から、無垢なるノアの一族だけは助けるように天使は命じられる。

他にも、人類の堕落の象徴として登場するトゥバル・カインはノアの誕生よりもずっと以前の登場人物だし、岩の堕天使も聖書とはずいぶんと違う。

そして個人的に最も重要だと思うポイントは物語のエンディング近くに訪れるシーンにある。こういった映画でもネタバレに神経質な方はちょっとだけ目をつぶっていただくとして、映画では大洪水後にノアの次男のハムが一人旅にでることになるのだが、聖書の記述では、葡萄酒に酔ったノアの介抱をハムが怠ったためノアがハムの息子カナンを呪う、ということになっている。その呪いとはカナンの一族は以後セムとヤペテの一族の奴隷となるというもので、この部分の解釈は創世記のなかでも未だに論争となっている。そしてノアという“人間”の評価を隔てる逸話でもある。

他にも聖書との違いはたくさんありそうだが、そういった「間違い探し」は専門の人に委ねるとして、この映画を見た正直な感想を以下に箇条書きに紹介する。

  • ラッセル・クロウはどうみても無垢な人間ではないが、後半部分で壊れていくノアの“人間性”を演じられるのは彼しかいない。まさにはまり役。
  • 最初の1時間は最高のエンタメ映画な分、後半の「人類の罪と罰」を巡る問答合戦はきつい。
  • 本作ではかなり直接的なエコロジー思想が描かれており、一神教的自然観とはかなりの隔たりがある。
  • 海の誕生、そこから生命が猿まで“進化”する過程が描かれている。しかし人類の誕生だけはその流れから切り離されている。ここにダーレン・アロノフスキーの苦悩を見た。
  • ジェニファー・コネリーは旦那運が絶望的にない(本作に限らず)。

海外の評価サイトでは軒並み高得点をたたき出しているが、映画としてみる場合はエンターテイメント描写とドラマ描写の境界があまりにもはっきりとしているため、個人的には大した映画だとは思えなかった。聖書を聖典としてではなく原作として読みとる限り、脚色も中途半端で、従来の解釈からより遠くへ飛び立とうとする意欲を感じられない。もちろん従来の一神教的解釈が気に食わないと言う訳ではなく、せっかくの多額の資本が投下された作品なのだから、ただの映像化というだけではなく映画的な野心を見せてほしかった。

しかしそうはいってもユダヤ、キリスト、イスラムの共有神話の映像化としては十分な完成度を示しているとも思う。色々と舞台裏は大変だったようだが、今後、マーベルシリーズのように「聖書シリーズ」なんて小ジャンルが生まれることなっても不思議ではない。そういった意味では案外重要な作品となる可能性も秘めた本作だと思うので、是非劇場で鑑賞してみてください。

<スポンサーリンク>

poster.png
おすすめ記事!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です