映画レビュー|『クミコ、ザ・トレジャーハンター』-誰にもわからない結末

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菊地凛子主演で、コーエン兄弟の『ファーゴ』のなかで描かれる隠し財宝の存在を真実と信じた日本人女性の数奇な旅を描いた『クミコ、ザ・トレジャーハンター』のレビューです。2001年にノースダコタ州ファーゴ近くで命を絶った日本人女性の噂を基にして作られた奇妙なミステリードラマ。

『クミコ、ザ・トレジャーハンター/Kumiko, the Treasure Hunter』

全米公開2015年3月13 日/日本公開未定/アメリカ映画/104分

監督:デヴィッド・ゼレナー

脚本:デヴィッド・ゼレナー、ネーサン・ゼレナー

出演:菊地凛子、勝部演之ほか

あらすじ(ネタバレなし)

クミコ(菊地凛子)は29歳のOL。東京で一人暮らししながら孤独に暮らしている。友人はいない。職場でもいつも一人。そんな彼女が唯一熱心に取り組んでいるのが、コーエン兄弟が監督した1996年の映画『ファーゴ』を繰り返し観ること。「これは実話である」という映画の演出を事実と信じ込み、劇中でスティーブ・ブシェミが財宝を雪の中に埋めるシーンを繰り返し確認している。

ひとりで閉じこもり、やがては仕事さえも失った彼女は、アメリカのミネアポリスへ向かう。

そして映画の舞台となったファーゴへと旅するクミコ。

孤独な彼女の精神は危うく、財宝の存在しか見えなくなっていた。

レビュー

クミコが見つけたモノとは?:

まず映画の話をする前に、「真実の物語」から話すことにする。

2001年、東京在住の日本人女性Tがノースダコタ州ファーゴの東に位置するデトロイト湖付近で死んでいるのが発見された。そして彼女と現地で会話したという現地の警察官が、彼女は映画『ファーゴ』で描かれた隠し財産を探していたと証言したことからこの事件は、映画を真実と信じた日本人女性の狂気の末の悲劇として全米を駆け巡った。しかしこれは事実ではない。後の取材によって彼女は『ファーゴ』がお気に入りの映画ではあったものの、財宝を探しに来たのではなく、既婚者だったアメリカ人の恋人との別れを苦にした自殺だったことが判明する。英語が苦手だった彼女の言葉を警官が誤解したことがこの都市伝説の原因だった。

本作『クミコ、ザ・トレジャーハンター』は「真実の物語」ではない。「真実の物語」と謳ったフィクションの映画(『ファーゴ』)を「真実」と信じたとする都市伝説を、忠実に映像化した作品だ。文字で説明すると非常にややこしいが、結論はこの『クミコ、ザ・トレジャーハンター』はフィクションであり、この映画の出発点となった日本人女性にまつわるニュースもまたフィクションである。本作はメタ的に入り組んだ映画と言える。

物語は2幕形式で語られ、前半の舞台は東京、そして後半はミネアポリスからファーゴに至る道中を描いている。冒頭から彼女の東京での風変わりな生活風景が丁寧に描かれる。しかし徐々に、それはただ風変わりなだけでなく、病的なまでに普通ではない彼女の奇行へとフォーカスされていく。彼女は孤独だった。家にいても、仕事をしていても彼女はずっと一人で、心ここにあらずといった風。唯一彼女が真剣に集中している時は、部屋で『ファーゴ』を観ている時だけ。冒頭の「真実の物語」云々のシーンと、スティーブ・ブシェミが雪の中に金のつまったアタッシュケースを埋めるシーンを繰り返し再生し、金が埋められた場所を特定しようとしている。一体何が彼女をそこまで『ファーゴ』の向かわせたのかは分からない。孤独だっから『ファーゴ』に取り憑かれたのか、『ファーゴ』に取り憑かれたから孤独になったのか、その位置関係は明らかにされない。ただ唯一彼女の孤独感の原因として暗示されるのは、彼女を取り巻く人々の冷たさだ。彼女が普通ではないと誰もが気がついているはずなのに、誰も彼女に手を差し伸べない。無視するだけでなく軽蔑の視線を隠そうともしない。そんな風に東京でのシーンは、人々の冷たさとクミコの孤独が繰り返し強調されることになる。

一方で、仕事をクビになったクミコがミネアポリスの空港に降り立った瞬間から、世界は一変する。舞台は第2幕へと移行し、アメリカ中西部の骨の髄から凍りつくような寒さのなか、東京では無視と軽蔑を招いた彼女の奇行も、そこでは優しさで迎い入れられる。彼女の前に現れる人の多くは、彼女を助けようと苦心してくれる。そんな人々の優しさを彼女をことごとく裏切りながら、とうとうファーゴまで行く着く。

果たして彼女は探していたモノを見つけることができたのだろうか。

その答えはもしかすると最後に明らかになったのかもしれないし、なっていないのかもしれない。狂言誘拐を描いた『ファーゴ』が虚実の境を曖昧にすることで人々の孤独と狂気を滑稽に映し変えたのに対して、本作『クミコ、ザ・トレジャーハンター』では滑稽なまでのクミコの言動を通して、最終的には物語全体のどこが「真実」でどこが「フィクション」なのかという虚実が曖昧になっていく作りになっている。メタ的に混乱しながらも、まるで『ファーゴ』を逆回転させたような物語構成なのだ。

象徴的なのは後半部に登場する警察官がクミコに「『ファーゴ』は作り話なんだ、普通の映画というのは全部作り話なんだ」と諭すのに対し、クミコは「作り話なんかじゃない、本当の話よ」と激しく反論するシーンだ。エンドクレジットを見て分かることだが、この警官の役は監督自身が演じている。本来は物語を観客に信じ込ませることを目的とする監督自身が「映画は作り話」と諭している。物語内で色々と立場が逆転してしまっているのだ。

本作の作りは実験的というのではなく、単純に奇妙なものになっている。クミコの孤独と狂気の原因については一切探ろうとせず、ただただその状況だけをカメラで追っている。そしていつしかカメラはクミコの孤独と狂気の内側から世界を観るようになる。その瞬間、物語はあっさりと終わる。

そして最後には奇妙な疑問だけが残る。

クミコは最後どうなったのだろうか?

もしかすると彼女は探していたモノを本当に見つけたのではないのか。

彼女こそが正しく、僕らこそが狂っていたのではないのか?

その答えを知るためには凍える冬のファーゴに赴き、本作のラストが正しいのか確かめなければならないのだろう。クミコがそうしたように。

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ということで『クミコ、ザ・トレジャーハンター/Kumiko, the Treasure Hunter』のレビューでした。前半部は東京での撮影で、スタッフも日本人を起用しているためアメリカ映画にあって珍しく全く違和感のない東京が描かれています。もちろんクミコ周辺の描写は一風変わっていますが、その理由はもう述べています。菊地凛子の画面占有率は90%以上で、本作の魅力の多くは彼女の演技によって支えられていると言っても過言ではないでしょう。危うい狂気を見事に演じていました。でも本作は日本ではほとんど話題になっていないですよね。これ、おかしいですよ。2014年のサンダンスで高評価だった日本人女優が主演の映画が、日本ではまだ観られないなんて、やっぱりおかしいですよ。もちろんヒットなんてしない作品ですが(すみません)、優れた作品であることは間違いないです。物語の半分は日本語なんです。これじゃ菊池さんがかわいそうです。他にも河北麻友子(一瞬ですが)や勝部演之も出演しています。インディ映画で頑張る日本人を応援しましょうよ。それになかなか興味深い映画で、僕はこういうの好きです。ですのでおすすめです。以上。

Summary
Review Date
Reviewed Item
クミコ、ザ・トレジャーハンター
Author Rating
4
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