映画『神様の思し召し』レビュー

腕利きでありながらも傲慢な外科医トンマーゾとその家族。ある日、その息子から突然の告白を受けたことで家族はバラバラに。そして一人の神父との出会いを通して描かれる、家族のドタバタと人生の意味。スピーディーな展開と良質の笑いが合わさったコメディ。第28回東京国際映画祭・観客賞受賞作。

50971

『神様の思し召し/God Willing』

コメディ映画/イタリア/87分/第28回東京国際映画祭・観客賞受賞作

監督:エドアルド・ファルコーネ

脚本:エドアルド・ファルコーネ、マルコ・マルターニ

出演:マルコ・ジャッリーニ、アレッサンドロ・ガスマン、ラウラ・モランテ、イラリア・イパーダ他

あらすじ

トンマーゾは腕利きの心臓外科医。しかし自分の腕の良さを隠そうともしない傲慢な性格だ。長年連れ添っている妻カルラとの仲は冷え気味である。子供はふたり。姉のビアンカは、ずぼら人間だ。期待をかけている弟のアンドレアは、医大に通わせ、トンマーゾの後を継ぐ準備もできている。しかし、最近アンドレアの様子がおかしい。アンドレアの告白の前に、家族全員が心の準備をするが、それは全く予想もしない内容だった!巧みな展開に笑わされ、やがて人間の心の奥深さに感動する、フィールグッドな大人のコメディドラマ。

参照:2015.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=15

レビュー

東京国際映画祭に出品された全16作のコンペ作品のなかから観客の投票によって選出される観客賞を受賞した本作。審査員ではない観客からの投票で選ばれた作品だけあって、重苦しいテーマの目立った他の作品と比べるとユーモアと人生のほろ苦さに満ちた作品となっていた。

主人公は敏腕でありながらも傲慢な外科医であり父親でもあるトンマーゾ。物語は、ゆくゆくは自分の後継者となってくれるだろうと望んでいた息子がゲイだと勘違いすることからはじまる。有能で進歩的だと自負するトンマーゾは、息子のカミングアウトを受け入れようと身構えるも、実は息子はゲイではなく聖職者になることを望んでいた。ゲイではないと知って安心するトンマーゾだが、現代的な合理性を信奉する彼にとっては、息子がゲイであることよりも不確かな「神」に仕える聖職者になることの方が許せない。そしてトンマーゾは誰かが息子を洗脳したに違いないと疑い、やがては一人の神父と出会う。そしてそこからドタバタのコメディが展開される。

宗教のあり方をテーマの一部とするコメディ映画としては本作の作りは、一見すると、非常に誠実にも映る。モンティ・パイソンのように宗教、特にキリスト教が持つ独善性を揶揄することでのユーモアではなく、宗教を否定することが民主的であり進歩的であると信じる行為に宿る差別性や偏見をユーモアの対象としている。

主人公トンマーゾは息子を「洗脳」から解き放つために、その首謀者と思しき神父に身分を偽って接触する。どうやら前科があるらしいその神父の悪巧みが背後にあると考えたトンマージは、裏で色々と画策するのだがその尻尾がつかめない。そしてその神父との関係を通してトンマーゾ自身が自分の考えを改めていく、というのが話の大筋だ。

良質なユーモアと人生のペーソスに彩られ、生き方の多様性にまで言及する内容で、終盤に用意されている驚きを含めて本作は上手くコントロールされていた。実際に声を出して笑ってしまうシーンも多く、おそらくはその点こそが観客からの強い支持を獲得した理由だと推測する。しかし同時にどうしても違和感のようなものがぬぐいきれなかった。

その違和感とはこういった状況に置き換えられる。最近テレビでお笑い芸人が真面目に政治や社会問題に対して物申すシーンを見かける。もちろんそのことに問題は全然ないのだが、一方で話題が自らの食い扶持の業界の問題になると途端に真面目な表情を捨てて笑いで濁す場面に出くわす。自分の外側の問題に関して鋭く冴える言説も、自らが属する問題となれば笑いで逃げる。これは見ていてあまり気持ちいいものではない。本作にも同じような嫌な感触が付きまとった。

それは物語の冒頭からはじまる。主人公は息子がゲイであることを疑い、本心では反対したいと思いながらも社会の趨勢に与する形で許容しようと努力する。結局このプロットは、息子はゲイではありませんでした、という結果で打ち切られるのだが、その部分に現代カトリックの欺瞞がうっすらと透けて見えるのだ。

カトリック教会は同性愛を禁じている。先日、バチカンの幹部が同性愛をカミングアウトした結果その職を解かれたことからも、本作に登場する神父もそれに追随すると考えるのが妥当である。本作を見ていてぬぐいきれなかった違和感とは、もし仮に主人公の息子が本当にゲイだったのならどうなっていただろうか、という疑問に対して本作は何の答えも提示していないためだ。ゲイであることを悩んだ主人公の息子が、神父にその事実を相談したのならどうなっていただろうか。本作でカトリックの神父が主人公トンマーゾを最終的に救済するように、ゲイの息子にも安らぎを与えてくれるだろうか。もちろん映画に描かれていないストーリーのため想像の域を出ないが、おそらくは教条的に「同性愛はダメ」で終わってしまう可能性が高い。だとするのならあまりにも悲しく、欺瞞的だ。しかも本作ではゲイであるか否かのプロットをドタバタ風コメディで描いている。笑いの使い方としては最悪だ。

本作を鑑賞後、その部分を監督に直接質問する機会があった。ここに描かれた同性愛をめぐるドタバタは昨今のバチカンを風刺したものなのか、そしてその点についてバチカンは変革を必要としているのか、という問いに対し、監督は「私がローマ法皇になったなら考える」とユーモアで返してくれた。前述のお笑い芸人のそれと同様に嫌なユーモアだった。

確かに本作はコメディ映画として間違いなく上質な笑いに満ちている。進歩的な民主的姿勢に潜む問題点も鮮やかに描き出している。笑いと涙が同時に作用する場面もある。一方で現代カトリックが抱える問題に関しては何も語っていない。それどころかあえて物語の冒頭で笑いを用いて覆い隠そうとさえしている。良質なコメディとは、小難しい議論では置き去りされてしまうことの多い物事の本質を浮き上がらせてくれる。モンティ・パイソンのコントが支持されるのは、彼らの「バカっぷり」が社会や常識によって隠蔽された本質を見事についているからだ。

残念ながら本作のユーモアとは、笑いとは、カトリックの自己弁護のために使われている。宗教も、そしてエンターテイメントも万人のためにあるという前提に立てば、本作は見る人を選んでいる。しかもその基準はあまりにも教条的だ。救う対象を選ぶ救済とは、選ばれない人から見れば暴力や差別と変わりない。

そんなコメディ映画は腹から笑えない。

『神様の思し召し』:

<スポンサーリンク>

ということで『神様の思し召し』のレビューでした。まあ、確かに面白かったですよ。僕も声を出して笑いましたし、ラストにはホロリとやられました。でもね、レビューでも書きましたが笑いの使い方が卑怯ですよ。きっとカトリック教会とかに関心のない人にはどうでもいいのでしょうが、痛いところはユーモアで隠蔽し、相手の批判点については鋭い弁舌で説き伏せる、というのはフェアではないです。というか嫌いです。質疑応答での監督の返答も、周りは笑っていましたが、つまらなかったです。観客賞受賞作ということで支持者が多い作品だと思いますし、よくできた映画だとは思います。それでもね、嫌いです、はい。以上。

Summary
Review Date
Reviewed Item
神様の思し召し
Author Rating
3
50971.jpg
おすすめ記事!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です