ニコラス・ケイジ主演『グランド・ジョー』レビュー

ニコラス・ケイジ主演のアメリカ南部を舞台にしたシリアス・ドラマ『ジョー』のレビューです。監督は『スモーキング・ハイ/パイナップル・エクスプレス(原題)』のデヴィッド・ゴードン・グリーン。コメディを得意とする監督が、ここ最近は目立った活躍のないニコラス・ケイジと組んだ本作は、アメリカ南部特有の逃げ場のない呪いのような泥沼のなかに暮らす少年と彼を見守る男の姿を、リアルな南部描写を背景に描いた傑作ドラマ。

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グランド・ジョー/JOE

2014年全米公開映画

監督:デイヴィッド・ゴードン・グリーン

脚本:ゲイリー・ホーキンス

原作:ラリー・ブラウン『JOE』

出演:ニコラス・ケイジ、タイ・シェリダンなど

ストーリー ※ネタバレなし

15歳のゲイリー(タイ・シェリダン)は南部の典型的なホワイトトラッシュ(貧乏白人)。親父は仕事もせずに呑んだくれすぐにゲイリーを殴る。母親はそれを見て見ぬ振りをする。糞みたいな家族ととも糞みたいな毎日を暮らしている。

ジョー(ニコラス・ケイジ)は前科持ちの南部男。それでも仕事ぶりはしっかりとしていて周りからの信頼も篤い。彼の仕事は地元の底辺で暮らす黒人たちの日雇い労働者を管理し、森に生える弱い木々を枯らすために毒を撒くこと。そうやってより生産性の高い木々に植え替えるのが目的。

ある日、仕事を必要としていたゲイリーは森のなかでジョーと出会い、仕事にありつく。金が必要だったため呑んだくれの親父も仕事に呼ぶも、ゲイリーと違って親父は全然働かずにすぐ首になる。それでも働き続けるゲイリーは、給料をもらうたびに親父に殴られ全部盗られてしまう。そんなゲイリーをジョーは遠くから見守る。

しかしそんななかジョーは突然、撃たれる。以前にバーで痛い目にあわせた奴の復讐だった。前科持ちのジョーは病院にも行くことができず自分で銃弾を取り出し、応急処置をする。

呑んだくれ、銃、娼婦、たばこ、屠殺、ブルドッグ、殺人、浮浪者、タトゥー、セックス、、、そんな南部の呪いのような鎖から誰も抜け出せない。

そしてゲイリーにもまたこの土地からどうしても抜け出せない理由があった。

※ストーリー後半のネタバレは次のページで

レビュー

まず最初に伝えたいこととして、本作『ジョー/JOE』は“普通”の映画ではない。

監督のデイヴィッド・ゴードン・グリーンは『スモーキング・ハイ/パイナップル・エクスプレス(原題)』というバカコメディ映画で有名だが、同時に2013年に監督した『セルフィッシュ・サマー』ではベルリン映画祭の銀熊賞(監督賞)も受賞している。掴みどころのない監督なのだ。そして主演はニコラス・ケイジ。彼もまた『リービング・ラスベガス』でオスカーを受賞するなどその演技が絶賛された一方で、特に近年ではB級テイストな作品でそのキャリアを持て余している。演技派からヒーロー作品にうまく移行したロバート・ダウニーJrとは対照的だ。何にせよロングビーチで生まれコッポラ監督など芸術家を多く輩出する家庭に生まれた彼には、本来はアメリカ南部を舞台とするドラマ映画は似つかわしくない。

他の出演者も普通じゃない。物語の核となるゲイリー少年を演じたのはタイ・シェリダン。彼はテレンス・マリック監督作の『ツリー・オブ・ライフ』でデビューし、マシュー・マコノヒー主演の『MUD』にも出演。テキサス出身という出自を生かしてデビューから一貫して南部少年という役柄を演じ続けている。そしてそのゲイリーの父親役を演じたゲイリー・ポールターは本作で俳優デビューし、それまではテキサスのオースティンで実際に浮浪者だった本物の呑んだくれ。そしてこの映画の結末を示唆するように、彼は本作が公開される前にホームレス向けのキャンプ場で死んでいるのが見つかった。これまでいわゆる「レッドネック」や「ホワイトトラッシュ」と呼ばれる貧乏白人を演じてきた俳優は多いが、彼ほどリアルに演じきった者はいない。

他にも南部描写のリアルさが凄まじく、当然全員が南部訛りの英語を喋り、誰も「He does/He doesn’t」といった正しい三人称単数形なんか使わず、無教養であることが南部のアイデンティティであるようにして「He do/He don’t」を貫き通す。

そういった作品のトーンはもちろんラリー・ブラウンの原作の世界観に依拠するところが大きい。日本語訳は出ていない作家だが、南部に根ざしたいくつかの小説を発表しており、残念ながら2004年に亡くなっている。本作を観るだけでも彼がウィリアム・フォークナーやフラナリー・オコナー、ユードラ・ウェルティといった南部ゴシックの巨匠たちから強い影響を受けていることがわかる。映画『ウィンターズ・ボーン』の原作者であるダニエル・ウッドレル同様に新しい世代の南部ゴシックの語り手だった。

広大な土地に比べて人口密度が低い特性とその歴史性からアメリカ本国でも明らかに異質で孤立した文化を形成し、その土地に根ざしたルール(=倫理)が特に外部からはグロテスクなまでに醜く歪んで見える南部社会。映画一般においてそれらを拡大解釈した南部ゴシックの要素は『悪魔のいけにえ』などに代表されるようにホラー作品に適用されることが多いが、一方でグロテスクな欲望に忠実な殺人鬼や強姦魔などの姿は時として“無垢”なる存在の裏返しにもなり、物語全体がある種の神話性を獲得することがある。現代の南部ゴシックを代表する作家コーマック・マッカーシー原作の映画『ノーカントリー』がそうだし、マシュー・マコノヒーが主演した『MUD』もまたそうだった。

本作も然り、物語のプロット自体はとてもシンプルだ。不遇な少年がいて、彼を優しく見守る孤独な男がいる。そして男は少年に自分が手にすることが出来なかった未来を託して幕は閉じていく。簡単に言えばそれだけの話なのだが、フォークナーの小説が旧約聖書や他の神話世界の非現実的な要素と南部の凄惨な現実を結びつけたことと同様の作用がこの物語にも働いている。

本作に登場する大人たちは皆罪に汚れた人々だ。主人公ジョーは前科持ちであり、呑んだくれの親父はわずかな金のためにどんな罪を犯すのも厭わない。強姦魔も殺人者も警官も主人公も、ここではみんな平等に罪人となってしまう。そして彼らには自らの罪に向き合った形に相応した結末が用意されている。ストーリーそのものはありきたりでありながらも、本作に凄まじいまでの吸引力があるのは、南部に根ざした神話性と物語が重なるからだ。ある者は無残に殺され、ある者は生き残り、ある者は「キリスト」となる。ニューヨークや東京を舞台にして描こうとしても成功するはずのない現代の神話が、アメリカ南部ではまだ語ることができるということを痛感する。

もちろん決して愉快な映画ではないし、かなりグロテスクなシーンもある。明確に明かされないが身の毛もよだつような出来事も暗示される。それでも本作の最後には言いようのない感動が待っている。これほどまでに美して、叙情的で、詩的な最後を描けるのもまたアメリカ南部だからだろう。

ニコラス・ケイジを筆頭に“普通”ではない俳優たちの演技が文句なし素晴らしい本作。この一作だけでニコラス・ケイジの最近の残念なフィルモグラフィーをなかったことにできるほどの傑作ドラマ。機会があればお見逃しなく。

『グランド・ジョー』:

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※次のページにストーリー後半のネタバレあり※

Summary
Review Date
Reviewed Item
グランド・ジョー
Author Rating
5
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