【映画】『インターステラー』レビュー ※ネタバレページあり

クリストファー・ノーラン監督最新作『インターステラー』のレビューです。人類を滅亡から救うために、残された最後の希望として新たな人類の住処を探すために宇宙へ飛び立った元パイロットの物語。『2001年宇宙の旅』的な人類への壮大な問いかけと思いきや、家族愛を追求した一作。作品の評価はさておき、とにかく”語りたくなる”映画であることは間違いありません。日本公開は2014年11月22日。

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■ストーリー、前半■ ※ネタバレなし

地球は深刻な食糧不足に悩まされていた。至る所で砂嵐が発生し、これまでのような日常生活は困難になり、文明社会はどんどんと先細っていった。科学などの将来への希望を託す学問は軽視され、若者は農業分野での活躍が期待されるようになり、月面着陸という人類の達成さえも嘘のプロパガンダだとするようなことが学校で教えられていた。

元NASAのパイロットで今はトウモロコシ畑で農業を営むクーパー(マシュー・マコノヒー)は、息子のトムと娘のマーフィーそして死んだ妻の父親と一緒に暮らしていた。日々の暮らしだけで精一杯のなか、娘のマーフィーは自分の部屋で勝手に本が落ちるなどのポルターガウスト現象に遭遇しており、彼女はそれを幽霊の仕業だと信じていた。

そしてある日、巨大な砂嵐が発生。マーフィーの部屋の窓が開けられており、部屋のなかには大量の砂が流れ込んでいた。しかしクーパーはそこで不思議な現象を目にする。床に均等に積もっているはずの砂は、規則性のある模様となっていた。これまで説明してきた”重力”だけでは起こりえない現象に、クーパーはあるメッセージを読み取る。それは二進法で描かれたメッセージであり、それに導かれるようにしてクーパーとマーフィーは、NASAが秘密裏に建設していた施設にたどり着く。

そこには施設の責任者でもあるブランド教授(マイケル・ケイン)がおり、人類が地球を捨てて新しい惑星へと移住するための計画<ラザロ計画>が練られていた。人類移住先の候補はすでに絞られており、土星の近くで発見された時空間の歪み<ワームホール>を通ることで到達可能なことが明かされる。すでに第一便が3つの候補地に向けて出発していたが、彼らとの音信は途絶えたため、クーパーはパイロットとして計画への参加を打診される。

やがて人類は滅亡へと向かうことを知らされたクーパーは、娘の世代を救うためミッションへの参加を決意。しかし肝心のマーフィーは、ポルターガイスト現象から「STAY(留まれ)」というメッセージを受け取った主張し、クーパーが地球を離れることを認めない。そしてとうとうクーパーは愛するマーフィーとろくな別れもできないまま、「必ず帰ってくる」という約束と腕時計だけを残し、宇宙へと旅立った。

ブランド教授の娘で生物学者のアメリア(アン・ハサウェイ)と2人の専門家、そして2台の箱型歩行ロボットTARSとCASEを乗せて、宇宙へと飛び立ったクーパー一行は、無事に土星付近に到着。目の前に横たわるワームホールの先には、想像を絶する世界と隠された真実が待っているとも知らず、彼らは時空間の歪みの中へと突入していく。

■レビュー■

「絶対的時間」が存在しないことを証明したアインシュタインの相対性理論の登場以後、主にSF世界においてタイムトラベルという行為は人生を客観視するための比喩として多く使われるようになった。絶対的な時間は存在しない。その時間を内包する空間の重力の強弱によって、時空間は自由自在に揺らぐ。ワープなどのSF的論理説明にブラックホールが利用されるのはそのためだ。激しい重力によって歪められた空間にあって、時間は進行速度は一変する。ブラックホール的な空間において浦島太郎の物語は、歪められた空間においての一秒が、地球の時間に直すと100年に相当するという現象によって説明可能なのだ。しかしその場合にも基本となる原則が存在する。それは、時間は決して”繰り返さない”、というものだ。

本作のテーマはずばり”時間”である。もちろん親子の物語という大きな軸は通っているが、それもあくまで”時間”を越えるためのひとつの要素であって、その意味で本作は”タイムトラベル”映画である。そしてこの”タイムトラベル”というSF的要素が、人間としての最も尊い部分と深くリンクしており、前作『インセプション』で見せた思考の内側への旅路の果てに現れる現実の超越と、同じ軸を共有した反対側にある可能性として、人間性の極限としての想像力の彼方に現れる時間の超越が描かれている。簡単に言ってしまえば、人間は想像力という奇跡を通して時間を越えることができるということが、壮大なSF的仕掛けによって描かれている。未来と過去は、どちらの人間の記憶≒想像力によって再現されるという意味において、互いを内包し合っているということ。

宇宙を舞台にし哲学的な内容を含んだSF映画となれば当然『2001年宇宙の旅』と比較されることになるが、ノーラン監督もそれを十分に承知の上で、モノリス風のロボットを登場させたり、オープニングではあえて光源を限定した撮影をするなど随所にオマージュらしきものを確認できる。でも実際にはそれ以上に『フィールド・オブ・ドリームス』に近く、啓示として出現する親子愛を、超常的ではなく、SF的に説明した作品になっており、この点で評価は分かれると思う。

つまり、二度と会えない人とでも記憶の中では再会できる、もしくは、二度と戻らない過去も記憶の中ではやり直せる、という人間の想像力をSF的舞台で描いた作品と言える。そしてそういった想像力こそが人間をより高い次元へと推し進めていくのだとノーランは考えている。

これから日本で一般公開され、多く人が劇場に訪れるに従い様々な議論を提供することになる作品だと思う。ただ個人的には、前半部の物語全体への大いなる期待感がしっかりと回収されたとは思えなかった。途中から、次のシーンへの期待感が物語の本筋よりもマシュー・マコノヒーの演技に依存するようになっている。確かに彼の演技は素晴らしかったが、ノーラン監督がインタビューで語っていた80年代大作映画のワクワク感の再現を期待していると、終盤は観たことのあるノーラン的自己問答に突入する。

ノーラン史上最高傑作と呼べるかは疑問だし、キャスティングにも問題がある。そして相変わらず決闘を描くのが下手なところなど欠点もあるが、それでも繰り返し観たくなる映画であることは間違いない。なお、会話量が膨大なシーンが多いため日本語字幕では本作の世界観を十分に理解できるかかなり疑問(字幕が悪かったということではないです)なので、マシュー・マコノヒーの演技とか、終盤に出てくる”彼”のあの特徴的な声とかに興味のない人は吹き替えをお勧めします。

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※次のページにストーリー後半のネタバレあり※

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