【映画】リドリー・スコット監督作『エクソダス:神と王』レビュー ※ネタバレあり

リドリー・スコット監督最新作『エクソダス:神と王』のレビューです。旧約聖書に登場する出エジプト記で描かれる、エジプトで奴隷となっていたユダヤ人解放の物語を、『グラディエーター』で古代ローマを描いたリドリー・スコットが映画化。日本公開は2015年1月30日。リドリー・スコットの ファンだからこそ言うが、本作、眠いぞ。

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■ストーリー、前半■ ※ネタバレなし

紀元前1300年頃、栄華を誇ったエジプトの王国は膨大なユダヤ人奴隷を使い、巨大な建築物を建設するなど一体の支配を強めていた。そして王子ラムセスとその友人でもあり王族の一員でもあるモーセは、近年脅威となっていたヒッタイトとの戦いを準備を進めていた。そのおり、王宮付きの占い師より、「一方がもう一人の助け、やがては指導者となる」という予言が与えられる。そしてその予言通り、モーセは戦いの最中にラムセスを救うことになる。

そしてユダヤ人奴隷を大量に抱える町ピトンを訪れたモーセは、そこで劣悪な環境で酷使されるユダヤ人を目にした。ユダヤ人の集落を訪れたとき、モーセは古老のヌンと出会い、そこでモーセ自身が実はユダヤ人であることを聞かされる。王家の一員である自分がユダヤ人であるという話を受け入れることができないモーセは、先代の死去によって王となったラムセスらの前で、自分の出自に関して明らかにすることを求められる。結果、モーセはユダヤ人の両親から生まれたことが判明する。

そしてエジプトから放浪の旅を強いられたモーセは、過去を捨てて羊飼いとなって新たな生活を始めるも、ある時、彼に神からの啓示が与えられる。

■レビュー■

『ブレードランナー2』や『プロメテウス』の続編など多くの企画を抱えるリドリー・スコットの最新作は旧約聖書の出エジプトの映像化作品であり、本作はアカデミー賞も受賞した『グラディエーター』や2010年の『ロビンフット』などと同じく歴史叙事詩の系列に位置する。

この手の映画化作品については必ず原作(原典)との違いを巡って論争となるが、本作の場合は旧約聖書であり、なおかつユダヤ人を扱うだけあって今回もいくつかの問題点が様々な団体から指摘されている。まずはユダヤ人=ヘブライ人として登場するモーセやヌンやヨシュアといった重要人物を白人のキャストが演じていることに関しては早くから抗議されていた。この辺りの人種感覚というのは日本人には非常に難しいのだが、現在のユダヤ人の多くが一見すると白人であっても彼らはあくまでユダヤ人であって、ユダヤのアイデンティティとは外見ではなく宗教に依存する以上、モーセやヌンをイギリス人が演じることに彼らが強い拒否反応を示すことも理解できる。ただしこういった批判は映画を鑑賞する上での大きな妨げにはならないし、我々からすると結構どうでもいい。

そういった歴史考証の部分や聖書解釈の問題は置いておいて、本作が抱える最大の問題とは、単純に、盛り上がりに欠ける、という一点に尽きる。映画の構成上、いわゆる「三幕構成」と呼ばれるクライマックスへ向かっていく興奮の階段が本作ではほとんど機能しておらず、「出エジプト記」で描かれる重要箇所の「十の災い」と海が割れる奇跡が、あまりにも淡白すぎる。特に「十の災い」の部分は物語上ではクライマックスへの序章として壮大に描いてもらいたいところだが、その全てを描くために一つ一つの災いがあまりにも短い。そして「十の災い」の最後の災いである、「長子の皆殺し」描写はあまりにも、ぬるい。

そして海が割れる奇跡も、古典映画『十戒』に見られるようなわかりやすい描写をあえて避けているために、ダラダラとした印象が拭えない。この点は同様の聖書映画『ノア 約束の舟』が前半部を一貫してエンターテイメント描写で埋めていたのと反対に、叙事詩的映画としての側面を強く押し出した結果だとは理解できても、現在の大作映画の在り方としてはどうしても退屈感が強く出てしまう。

それでも『プロメテウス』でも見せたワイドスクリーンで描写される映像はスペクタクルそのものだし、ひとつひとつの箇所には見所も詰まっている。だからこそ、編集の仕方によっては、間延び感も払拭できたように思えて残念である。

個人的にはエンドクレジットで流れたリドリー・スコットの弟トニー・スコットへの哀悼の意が最大の見所とも思える本作、近年のリドリー作品のなかでも「これじゃないよ」感が一番強かった。やはり観たい作品は『ブレード・ランナー2』なのだ。

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※次のページにストーリー後半のネタバレあり※

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