【映画】『エンダーのゲーム/The Ender’s Game』レビュー “ハリウッド版エヴァ”

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 オースン・スコット・カードの同名小説の映画化作品、『エンダーのゲーム』のレビューです。90年代以降、定期的に映画化の話があがりながらも立ち消えていったのがやっと完成。たったひとりの少年が世界を背負うという『エヴァンゲリオン』の基本にもなる世界観と、戦闘における倫理の在り方や、リーダーの資質についての解釈など、原作小説が発表された85年という時代も相まって、多くの議論を巻き起こしてきた作品。日本公開は2014年1月18日に決定。

 ストーリー:地球の学校に通っているエンダーことアンドルーは、普通の子供とは違っている。エンダーは“サード”と呼ばれることにもあるように、現在の地球では人口調節のため各家族に2人までの子供を持つことしか認められていなかったが、優秀な兄弟を持っていたため、特例として生存を許された子供だった。
 ある日、エンダーのもとに通知が届く。それは彼に取って自分の存在意義そのものを揺るがすようなもので、医務室に連れて行かれたエンダーは、そこで脳の神経と連動していたモニター装置を外される。それはエンダーが、特別な存在としての価値がないと判断されたものと思われていた。
 2086年に異星人より地球は大規模な襲撃を受け、英雄メイザー・ラッカムの活躍により撃退に成功するも、いつ来るかもしれぬ襲撃に備えて、地球ではエリート兵養成のために、特別な少年たちを集めていた。モニターが外されたことは、このプログラムからの離脱を意味する。軍からの監視がなくなったエンダーは学校で早速いじめを受けるも、彼は逆に非情な反撃で彼らを遠ざける。また家に帰っても、同じようにエリートプログラムに参加していながら、その凶暴性から離脱した経験を持つ兄のピーターにひどい暴行を受ける。
 だが、プログラムからの離脱を意味すると思われていたモニターの取り外しは、実はプログラムの終了を意味するもので、エンダーは合格であった。
 エンダーは、自分を一番に愛してくれる姉のバレンタインとの別れは辛いものだったが、自分の存在意義を求めて、エリート兵養成の責任者でもあるグラッフ大佐の説得に従い、宇宙コロニーにある養成学校“バトル・スクール”に向かう。
 同じく世界中から集められた優秀な子供たちと訓練を受けながら、徐々に頭角を現すエンダー。しかしその訓練は厳しく、エンダーが天才であることで、彼の苦悩と孤独はより深くなっていく。

 レビュー:原作小説のファンが多ければ多いほど待ち望まれるその映画化は、上手く行かない傾向はずっと昔から続いている。もちろん指輪物語の例外はあるにせよ、長編小説という膨大な情報量を抱えた物語を、2時間程度の映像作品に収めることは、職人的な製作チームの技量が求められるのと同じレベルで、その原作小説が映画向きかどうかという問題とも向き合わなければならない。そしてこの『エンダーのゲーム』は映画化には決して向いている原作ではない。それは映画の設定を見れば明白で、原作小説では主人公エンダーの物語当初の年齢を6歳としているが、さすがにこれは現実的ではなく、映画では年齢には触れていない。小説的なリアリティーと映画のリアリティーは、全く別なのだ。また原作小説の構造が途切れることなく続く映画的なものではなく、15の章に分かれているため、映像としてはどうしてもシーンの移り変わりが唐突になってしまう。それは状況説明を同時に行わなければならない前半では顕著で、あまりに事態が何の感慨もなく進んでいく。映画がはじまって50分ほどは、幼少の頃に何度も読み返した小説の世界観を踏みにじられたようで、駄作という印象が常に点灯していた。
 結論から言えば、やはり映画化はするべきではなかったと思う。少なくとも原作小説のファンを納得させるものには仕上がっていない。原作の最大の魅力とは、少年の孤独と苦悩がその天才性を育てていく一連の過程にあるのに対し、映画化作品の方は、一人の天才少年の孤独と苦悩そのものを描くに留まっている。それがどのように形成され、またなぜ必要とされるのか、現実の非情な闘いのなかで残酷な結果をどのように受け止めるのか、という問いかけがあまりに単純に描かれている。
 ただ、映画の後半になるに従い、原作小説とは離れた見方が出来るようになり、そうなってからはひとつのSF映画として見所も十分に見いだせた。原作の魅力のひとつである、SF世界という現実を飛び越えた物語世界のなかを、さらなる向こう側のレイヤーとして描かれる物語内のゲーム世界の描写は、CGと立体アニメーションとを使い分けることで実現している。ただし、この描き方はあまりに子供っぽいと受け取られてしまうかもしれないが。
 あと、個人的にはもうちょっと上手く映画をまとめられなかったのか、監督の技量にも疑問符がつく。物語の冒頭に出てくる暴力的な兄や、その対称としての姉、このあたりは思い切って使わなかった方が、映画作品としてはまとまっていただろう。結果、兄は最後まで悪者としてしか残らない。また原作では議論と的となった、優生思想的な人種の描き方は、映画ではあえてその風味を、エンダーに共感する仲間たちに様々な人種を配置することで、意識的に消し去っている。あからさまなユダヤ人蔑視も、映画では目立たない。
 この原作小説は、世界の苦悩をひとりの“救世主”に託す、という非常に宗教的な色合いが濃いもののため、物語そのものが議論となるのだが、それはある意味では価値のある作品と言える。そしてこの映画化作品はそこまでの議論を生むことはないだろう。ただし、いつかは映画化しなければならない作品であったのは間違いなく、そのタイミングが決して間違っているとも思わない。また凡庸なファンタジーものにありがちな、生まれもって備わっている資質が外的な要因によって自然と発動するといった物語とも違って、あくまで外部から植え付けられた才能を世界の都合によって無理矢理に引っ張り出されていく設定は日本のアニメ、特に『エヴァンゲリオン』などにも強い影響を与えている。原作小説と合わせて鑑賞すれば、このレビューのように色々と言いたいことが出てくる映画であることも間違いない。

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 ※これよりネタバレを含みます!注意してください!原作とは違う部分も多くありますので、映画鑑賞を予定されている方は避難してください。繰り返します。ネタバレします!※

Enders Game Trailer

  厳しい訓練のなか、エンダーは自由時間を使って、自分の深層心理とリンクしていくゲームに没頭していく。ゲーム内で正解のない問題を与え続ける巨人を殺害した後、エンダーは虫のような生物に導かれ訪れた場所で姉のヴァレンタインを見つける。それが何を意味するのかエンダーのみならず、それを見守るグラッフ大佐にもわからない。
 順調に成績を伸ばし続けたエンダーは、バトルスクールにおいては異例の出世という形で自分がリーダーとなる新しいチーム“ドラゴン軍” を率いることとなる。そこでも優秀な成績を収めるのだが、それに嫉妬したエンダーの元リーダーとのいざこざのなかで、事故的にその元リーダーに致命的な損傷を負わせてしまう。エンダーは自分の行為と結果に苦しむ。姉のバレンタインに会いたかったエンダーは、バトルスクールからの退学をちらつかせながら、これからの自分の道を決めるために地球に戻る。
 そしてバレンタインとの話し合いで、エンダーは再度宇宙に戻ることを決意する。しかし次に向かうのはバトルスクールではなく、地球を襲った異星人の以前の住処であり今では作戦の前線基地となっているエロスと呼ばれる施設だった。そこでエンダーは既に死んでいるものと思われていた前戦争の英雄メイザー・ラッカムと出会い、彼から様々な指導を受ける。そしバトルスクール時代からの仲間を加えたチームで、卒業試験に望む。それはシュミレーションによって再現された異星人たちとの闘いであり、一度はそのゲームに失敗するも、2度目の挑戦でエンダーはとうとうゲーム上の敵の母星そのものを破壊し殲滅することに成功する。喜ぶエンダー。しかし司令室で見守っていたグラッフ大佐をはじめとする大人たちの表情は、エンダーの卒業を喜ぶだけのものではなかった。そこでグラッフ大佐よりエンダーは衝撃の事実を伝えられる。これはゲームなどではなかったのだ。実際に今、まさに今さっき、エンダーは異星人たちの星を完全に破壊し、すべての異星人を皆殺しにしたのだった。エンダーを英雄だというグラッフ大佐に対して、エンダーは自分は大量虐殺者だと答える。深く傷ついたエンダーは、自分のいるエロスの風景を以前ゲーム内で見ていたことに気がつく。そしてあのゲームのイメージが、実は今まさに自分が破壊した異星人からのメッセージだったことに思い至る。
 ゲーム内でみた景色そっくりの場所をエンダーは辿っていくと、見覚えのある場所にたどり着く。そこに現れたのはゲームで見た昆虫のような生物だった。それはエンダーの破壊した星の女王で、その前には鼓動するひとつの卵が残されていた。そしてエンダーはその女王に約束する。この卵がふ化し、生き延びることの出来る新しい星を自分が見つけることを。そしてエンダーはたったひとりでその星を探して旅に出るのだった。

 ということで、本作に関してはここにも紹介したように、原作小説が新訳で再発されています。そちらのレビューも追って公開しようと思います。

 

原作小説『エンダーのゲーム』

その他のエンダー・シリーズ

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