【映画】『6歳のボクが、大人になるまで。/Boyhood』レビュー

ベネチア、トロント両映画祭で絶賛され、アカデミー賞への期待も高まる『6歳のボクが、大人になるまで。/Boyhood』のレビューです。『ビフォア』シリーズで日本でも人気の高いリチャード・リンクレーター監督が12年間という歳月をかけて、ひとりの6歳の少年が18歳の青年へと成長していく過程を丹念に描いた傑作。2時間45分という上映時間をこれほどまでに愛おしく思える映画は他に思い当たりません。日本公開は2014年11月14日。

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■ストーリー■

6歳の少年メイソンは、両親が離婚したことで母親のオリヴィア(パトリシア・アークエット)と姉のサマンサと暮らしている。

ある日、母親のオリヴィエが自立した生活を営むために大学に復学することになり一家はヒューストンに移り住む。そして同じ頃、アラスカに住んでいたミュージシャン志望の父親(イーサン・ホーク)もヒューストンに戻ってきており、休日は父親とボウリング場に行ったりする生活となる。

そしてヒューストンでの生活にも慣れた頃、大学に通っていたオリヴィエは同じように二人の子供と暮らすシングル・ファザーだった大学教授と再婚。メイソンやサマンサとともに新しい家へと移り住む。安定した仕事を持つ義父と新しい兄弟とともに生活をはじめるメイソンだったが、やがてその義父のアルコール依存症が悪化し、家庭は瞬く間に崩壊していく。

急激に変化していく家庭環境の中で少しずつ成長していくその過程でメイソンは、ビールの味を知り、銃の扱いを覚え、恋をして、失恋し、そして自分の人生を見出していく。

■レビュー■

『6歳のボクが、大人になるまで。/Boyhood』の初めて劇場で鑑賞した時、辛くなった。一本の映画では経験したことがないほどに落ち込んでしまった。

本作は一人の6歳の子供が18歳になるまでを12年の歳月をかけて撮影していった文字通りの労作である。12年に渡り夏の間だけ撮影を繰り返し、一つの映画を作った。詳細な脚本はなく、一年ぶりに集まってから監督、出演者を交えて話し合い、そして撮影を行った。この映画を観て撮影手法という面では1995年の『Hoop Deams』という二人のバスケット少年の5年間を描いたドキュメンタリー映画を思い出したが、本作はあくまでフィクションであり、だからこそより観客一人一人の人生そのものと共鳴するような普遍的な印象を受けてしまう。また一人の少年と彼を取り巻く世界を描くという面で、シカゴを舞台にしたスチュアート・ダイベックの小説『僕はマゼランと旅した』を思い出した。

本作では主人公メイソンの6歳から18歳までの、人生で最も多感な時期が描かれており、そして人生で最も華やかな時間へ向けて物語は終わる。具体的には2002年から2013年、その間、9.11の記憶も新しいなかアメリカではアフガンからイラクへと泥沼の戦争があり、オバマが大統領になり、世界は文字通り激動の時代を迎えることになる。そんな時代とどこかで深くリンクするようにメイソンの家庭環境は目まぐるしく変わっていく。一人の少年の力ではどうしようもない“うねり”のなかで、メイソンはその流れにただ身を預けながらも確実に成長いく。

1回目にこの映画を鑑賞した時、私がどうしようもなく辛くなったのは、この時間のせいだ。個人的な話になるが、2002年から2013年という時はメイソンが過ごした時間に追いかけられるように、私にとって大学卒業を目前にし屈託のない時間の終わりを目の前にした時から今に至るまでの時間と重なる。生意気で自分の前には無限の可能性が存在すると信じて疑わなかった頃から、社会の厳しい“現実感”によって自分の身が少しずつ確実に削られ消耗していく。周りを見れば友人はそれぞれが所属する場所で真面目に働く一方で、就職という道を先延ばしにしモラトリアムを延長していた自分がひどく情けなく無能な存在に思えて仕方がなかった時間と多くが重なる。この映画を最初に観た時に思い知らされたのは、自分が立ち止まり呆然としていた時間にあっても、どこかの一人の少年は目に見える形で成長していった事実だった。メイソンの12年間と自分の12年間。その比較があまりにも鮮明だったからこそ、だから辛かった。

しかしこの映画について何か書きたいという思いから、2度、3度と鑑賞するに従い、あることに気がつく。それはこの映画がメイソンの12年間という時間以外にも、様々な12年間がしっかりと描かれていることだった。メイソン役を演じたエラー・コルトレーンの成長に目が行きがちな本作だが、その周辺のそれぞれの時間のなかに生きる人々の描写が素晴らしい。イーサン・ホーク演じる父親は、12年という時間のなかでやがては別の家族を持ち、本当の父親へと成長していく。母親役のパトリシア・アークエットは男に失敗を重ねながらも自立の道を模索する強い母親であり続けるように見えて、時に深い絶望を抱える姿が描かれる。それらはメイソンの輝かしく愛おしい12年とは違い、挫折と妥協の繰り返しでもあったはずだ。夢を諦め、希望もやがて現実の厳しさに洗い流される。しかしそういった辛いはずの時間も、メイソンの時間を前景に置くことで、ある部分では救われ、ある部分では私が感じたようにさらに辛くもなる。なぜならそのメイソンの時間とは、彼らもまた過去に経験した時間であり、そしてメイソンにもやがては父や母が過ごした時間が待っていることが示唆されるからだ。

その意味で、この映画の邦題がメイソン視点のみで語られる『6歳のボクが、大人になるまで。』という一人称的タイトルになったことは少し残念だ。少なくとも私はメイソン以外の他の誰かに流れる時間に心揺さぶられた。

最後にこの映画の終盤に流れる「Family of the Year」の『HERO』という曲の歌詞の一部を紹介する。

ボクは君のヒーローになんかなりたくない。

ボクは君が思うような立派な人間にもなりたくない。

ボクは見ず知らずの誰かと一緒に足掻いていたいだけなんだ。

本作にはヒーローも立派な<BIG MAN>も登場しない。ただ現実のなかで足掻き続ける普通の人々の12年間が描かれる。そしてそれがどれほど惨めなものであれ、我々はそれを受けいるしかない。なぜなら誰もが既にメイソンと同じように輝かしい時間を過ごしてきたから。もうあの頃には戻れないけど、あの頃の輝かしい時間を我々も確実に経験したのだからヒーローになれなくても文句を言う筋合いはないのだろう。

この映画は観る者がそれぞれの人生と重ねて何かと色々と言いたくなる。また他の出演者のなかにはあっと驚くようなミュージシャン(チャリ坊!)もいる。

この映画、本当に素晴らしいです。今年公開の映画で絶対に外せない一作です。

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