映画レビュー『バードピープル』-ハルキ的小説世界

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『バードピープル/Bird People』

全仏公開2015年6月4日/日本公開2015年9月26日/フランス/128分

監督:パスカル・フェラン

脚本:パスカル・フェラン、ギヨーム・ブレオー

出演:アナイス・ドゥムースティエ、ジョシュ・チャールズ、ロシュディ・ゼム他

あらすじ(ネタバレなし)

アメリカ人のゲイリー(ジョシュ・チャールズ)は、出張先のパリでのミーティング後にドバイへ向かう予定を取りやめ、会社に仕事を辞めると報告。妻とも別れることにする。一方、ホテルの清掃係のオドレー(アナイス・ドゥムースティエ)は大学を休学し、アパートとホテルを往復する日々を送っていた。ある夜、ホテルの屋上に出たオドレーはスズメに変身してしまう。そこで空からパリを眺め、人々の暮らしをのぞいてみる。

参照:www.cinematoday.jp/movie/T0020333

レビュー

日常の境界が消滅するハルキ的小説の世界:

砂漠を旅していた探検家は目的地を目前にしたところで突然ポーターたちが歩くことをやめてしまったことに驚いた。てっきり金銭闘争だろうと思ってボーナスを約束をするも彼らは動かない。彼らが立ち止まった理由は金や疲れではなく、急ぎすぎて置いてけぼりにしてしまった魂たちが戻ってくるのを待っているのだという。

これはイギリスの作家ブルース・チャトウィンの本に出てくるエピソードで、本作『バードピープル』とは全く別の話だが劇中で描写される二人の主人公たちの混乱と決心を観ていると、この話が不思議と頭から離れなくなった。

アメリカ人サラリーマンは出張先のパリで、突然、圧倒的な絶望感に襲われる。一歩間違えれば自分さえ殺しかねないような強力な混乱のなか、彼はすべてを投げ捨てる決心をする。忙しく世界中を飛び回り消耗していく自分自身をこれ以上保っていられなくなったためだ。仕事だけじゃない。家族でさえも彼には重荷になっていた。

そしてホテルのメイドとして働く若いフランス人女性は日々の生活を誰かの命令や指示だけで動かされていることに違和感を覚えている。ホテルの部屋を掃除している時、いつも彼女は抜け殻となったベッドと飛び立とうとする飛行機を交互に羨ましく見つめる。それらは彼女にとって「ここではないどこかへ」旅立っていった人々の痕跡だった。

この二人の混乱と退屈を相互に描きながら、本作は後半になると物語の翼を一気に広げ大空へと飛び立っていく。

本作は物語としては非常に小さな世界を扱っている。本来は1ページ1分と単純計算される脚本も、特に前半部では1ページが5分くらいありそうなほどに何気ない瞬間を贅沢に描いている。それを退屈と思う人もいるだろうし、その長さをテーマの希釈と受け取る人もいるかもしれない。実際に前半のほとんどは二人の自問自答を言葉なく描いており、分かりやすさこそが正義の説明過多な邦画に慣れている人は戸惑うかもしれない。しかしこれが思いのほかに染み入った。まるで村上春樹の良質な短編小説を読んでいるような気分になった。村上春樹じゃなくても、彼が翻訳したレイモンド・カヴァーのようでもある。形の違う孤独のなかに暮らす人々が、ある奇妙な日常の外側の体験を通して引き寄せられる。

本作では後半になって物語の比喩性は一気に上昇していく。ある日巨大なカエルが現れたり、突然大きな孔雀に出会ったりとか、もしくはかぼちゃが馬車になったり、そういったような日常の外側からの視点が物語に加わる。それは魂の視点と言い換えられるかもしれない。

先述した砂漠の探検家のエピソードに本作と同様の意味を感じたのは、両者とも、肉体と魂のバランスをテーマとして扱っているためだ。肉体は愚鈍であるが現実的で、魂とは想像力豊かだが実効性はない。それらは決して分けられるべきふたつではなく、互いが文句を言い合いながらも一つの存在として機能することが好ましいことは何となくわかる。しかし現実の社会では、個人は全体の歯車であることが求められる。そこでは魂の必要はなく、ただひたすら肉体的な作業の連続となる。クリスマスを返上してまで働くこと、上司の無理難題に答えなけらばならないこと、そして目的地まで急ぎすぎることもまた、魂を肉体から離れさせる原因となる。

本作のアメリカ人サラリーマンもフランス人メイドもそれぞれ理由は違えど、ふたりとも魂をどこかに置き忘れた人物として設定されている。表情に起伏はなく、感情も眠ったまま。眼に映る事象にもそれ以上の意味はなく、ただ過ぎ去っていく光景でしかない。魂が肉体に戻ってくることを必要とすることで、二人は出会わずともどこかで繋がっている。いや、ふたりだけでなく実は無数の人々と繋がっている。

そして劇中の後半には壮大な形で、その魂の帰還が描かれる。描かれるのはメイドだけだが、同様にアメリカ人サラリーマンにも魂が帰還したことが示唆される。その詳細はネタバレになってしまう可能性もあるので割愛するが、この高揚感や爽快感はアクション映画や大作映画のそれとは全く異質で、より内的で個人的なものに感じた。

村上春樹もまた日常と非日常の境界が消滅する物語を描いているが、日常を肉体的とし非日常を魂的と置き換えるのなら、そのバランスが崩れた時こそ日常を覆う境界線は消滅し、そこを越境することが許される。突然に嫁に失踪される男やカエルに話しかけられる男など、日常から越境していく人々という意味では本作の登場人物と近しい。非常にハルキ的な映画になっている。

本作の監督パスカル・フェランは前作『レディー・チャタレー』で過激な性描写が話題を呼び、セザール賞で作品賞など5部門を受賞することになるが、実は本作と同じテーマを描いている。D・H・ローレンスの原作小説に描かれる過激な性を魂の出奔に置き換え、その理由はやはり抗うことのできない肉体的な日々に求めている。

分かりやすい映画ではないのかもしれないが、しかしとてもシンプルな映画。飛び立とうとする意思は忘れない。技術革新のおかけで社会が便利になっていく一方で何か虚無的な気分が消えないとするのなら、それは魂を忘れてきたからでは。スカイプで地球の裏側と話せても、あなたはそこにはいない。ここからそこへ飛び立つことを恐れてもいけない。

仕事も家族も全部デタラメだ。そんなものは全部飛び越えられる。世知辛い世界の今にあって、真正面からそう言ってもらえることでなかなか勇気付けられる。

疲れている人にこそ多くが感じられる作品だと思った。

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ということでフランス映画『バードピープル』のレビューでした。個人的にはとても好きな映画です。もちろんパスカル・フェランの作品ですので、現代の女性の心理として観ても非常に興味深いでしょう。でも僕にはこれは魂と肉体の物語に思えて仕方なかったです。それは決しておとぎ話の類ではなく、実際の世界でも置きている出来事だと感じられます。日本公開は2015年9月26日よりユーロスペース、新宿シネマカリテほかより順次公開。是非お近くに来た時は鑑賞してみてください。旅に出たくなること間違いなしです。以上。

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