映画 若松孝二監督1964年作『恐るべき遺産 裸の影』レビュー

 若松孝二の一周忌として様々な劇場で追悼上映が行われている。そのなかでも若松のデビュー一年目の監督作であり、初の社会派ドラマとして、若松自身も強い思い入れのあった本作が50年ぶりにリバイバル上映された。この映画は、実は64年の公開後にフィルムが紛失状態となり、長らく幻の作品とされてきたのだが、99年に個人収集家のコレクションのなかから奇跡的にフィルムが発見され、デジタル処理を施したものが今回やっとお披露目された、という曰く付き。また本作は社会派ドラマでありながら女子高校生たちの入浴シーンが、公開当時大問題になるという、若松らしい逸話もセットになっている。

のりこ、恐るべき遺産

のりこ、恐るべき遺産

 ストーリーのりこは、女子校のバレー部の中心人物であり、容姿端麗で、美術大学を目指す恋人を持つ、恵まれた女子高生。何不自由なく暮らすのりこであったが、誕生日の夜に両親から衝撃的な事実を明かされる。実はのりこの実の両親はともに広島の原爆が原因で死んでいたこと。これまで親だと思っていたのは、実の母親の弟夫婦であった。
 そんななか、のりこは原因不明のめまいに悩まされるようになり、バレー部にも行かなくなってしまう。 家族とも、恋人とも今までと同じようには接することができなくなる。そして、ある日、のりこは入浴中に自分の体にいくつもの痣が出来ていることに気づく。
 悪化する体調のためか、のりこはバイクと衝突事故をおこし、運ばれた病院の医師に、自身の出自を尋ねられ、原爆症の可能性を示唆される。そしてのりこは、学校帰りに本屋で土門拳の写真集『ヒロシマ』を立ち読みし、そこに写される広島の姿につよい衝撃を受ける。自暴自棄になっていく彼女は、不良グループと関わるようになり、レイプされそうになるが、間一髪で恋人に助けられる。
 そして彼女は絵描き志望の彼に、自分をモデルにヌード絵を描くよう求める。 そしてその後、のりこは広島に向かう。

恐るべき遺産

恐るべき遺産

 レビュー若松は“怒り”と“エロ”の監督だとよく言われる。デビュー作の『甘い罠』はピンク映画としては異例のヒットとなり、ピンク映画の黒澤と称されたりした。その時、彼はまだ27歳で、本作監督時は28歳だ。そしてその後、エロと社会問題の両方を、行き場のない暴力の背景として描き続けてきた。
 そういった意味では、本作は彼のフィルモグラフィーのなかで、エロと社会が不器用ながらも描き込まれた最初の作品となるのかもしれない。本作は原爆症の少女を扱った非常に社会派ドラマである。しかし観てみるととにかくエロい。バレー部の練習シーンでは女子生徒の後ろから執拗にカメラを回すし、やたらと着替えシーンが多い。後半ではバレー部員らの入浴シーンを挿入する。後者はさすがに大問題にもなったらしい。作品のテーマを考えるに、これらエロの要素はほとんど必要ないと思われるが、若松はそれを原爆症がもたらす身体的な欠損と対比させるようにして、無理矢理でも入れ込む。
 本作の主題は、やはり怒りだ。1964年当時の、敗戦の記憶をガソリンのように燃焼、消費することで、忘れさられていくヒロシマの傷跡を、若松はスクリーンを通じて観客の前に引きずり出す。青春映画でもあるため、原爆症に関する直接的な過激描写は土門拳の『ヒロシマ』を通じて提示されるが、のりこのなかで土門拳の『ヒロシマ』がフラッシュバックするシーンでは、ほとんどホラー映画のような甲高いうめき声が何重にも響き渡る。このあたりは本当に観ていて辛い。前半部で青春の躍動感をしっかりと描いている分、その落差に、観ている側は辛くなる。しかしその辛さこそが、若松が感じた“怒り”の対象なのだろう。劇中において観客に近い存在が、のりこの教師であり、親であり、医師でもある。彼らは彼女が原爆症である疑いが強くなると、「もう18年も経つのになぜのりこが、、」と呟き、「最善の手段をもって立ち向かおう」と笑顔で彼女を鼓舞する。これらのセリフは原爆投下という悲劇をもはや自身の内部には置いていない者たちの無責任の集積であり、現在においてはほとんど大多数の日本人への怒りでもある。そしてもちろん現在では劇中におけるヒロシマという文脈をフクシマと置き換えられるだろう。死して尚、若松の怒りは我々に向けられているのだ。
 本作の結末は、救いがない。一度は親や仲間に救われたかのように思えるものの、最後はのりこの意思で、それらすべてを拒否する。それは彼女の絶望ではなく、覚悟のように思えた。仮初めの安心や平和に帰ることよりも、彼女は勝ち目のない相手であっても、ひとりで向き合うしか方法はないことを、どこかで知ってしまったのだろう。
 この映画がもたらす途方もない虚無感のなかに、観るものは自身を偽善を感じ取ってしまうのだろう。

 *これ以降、ネタバレします。50年前の映画でDVD化もされていないですが、一応結末は若松節全快ですので、劇場で観る予定のかたはここで立ち去ってください。ネタバレします。結末、書きます、注意*

 家出をし、単身で広島に向かったのりこは、原爆記念館を訪れる。原爆投下の説明が病的に繰り返されるなか、彼女は自分の出自とはじめて真正面から向き合う。そして帰郷した彼女は、どうしても自宅に帰ることが出来ずに、バレー部が合宿を行っていた海岸の合宿所に現れる。心配していた教師はのりこを温かく迎え、仲間たちも過去の争いを忘れのりこを迎い入れる。そしてバレー部の仲間たちと一晩過ごした彼女は、深夜にひとり起き上がり、合宿所を後にする。
 のりこはそのまま荒れ狂う海に向かって、ゆっくりと歩きだしていく。

 と、最後はのりこは入水していきます。この結末は本当に辛かったです。いわゆる昔の青春映画にありがちな、従順からの反発と和解という流れを踏襲するかと思いきや、最後はすべてを投げ出します。このあたりの解釈は様々でしょうが、やはりここに若松孝二の監督としての社会への態度が見て取れます。これを28歳で撮ってしまうなんて、ちょっと信じられません。改めて、合掌。

 

 

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