神戸ドキュメンタリー映画祭『オトン』ストローブ=ユイレ監督作

 2013年10月26日に神戸の新長田で開催されていた神戸ドキュメンタリー映画祭で、ストローブ=ユイレ監督作の『オトン』を観た。朝から用事があり、その合間に飛び込むという慌ただしさのためか、それとも何なのか、とにかく眠たかった。それでもこの機会を逃せば、そうそう観ることもできないと言い聞かせる。
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 概要:バロック演劇の作家ピエール・コルネイユの戯曲『オトン』を、現代(撮影当時1969年)のローマ遺跡を舞台に、フランス語が不自由な素人俳優が演じ、暴君ネロ亡き後の混迷するローマ帝国での、政略と恋の駆け引きの様子を、実験的に描き出す。映画の冒頭のシーンの眼下には、走る車の群れが映され、その騒音もしっかりと拾われている。たどたどしいフランス語のセリフ、感情表現に乏しい演技、凡庸なカメラワークにカット割り。それら全ての“反映画的要素”が、帝政ローマ期の滑稽さをあぶり出す。

オトン

オトン

 感想:本作の監督はストローブ=ユイレ。ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの共同作。彼らは私生活で長くパートナーであり、映画製作においても共同で作業にあたっていた。フランスとドイツの両方の映画シーンに関わっていたが、一般的には、というか全く一般的な映画監督ではないが、彼らを知る人たちにとって一般的には、ニュー・ジャーマン・シネマの2番手グループに位置するとされているのではないか。ヘルツォークやファスビンダーほど影響力はないし、ヴェンダースのような商業性もない。あくまで再現方法を巡る実験と前衛において語られることの多い、ヌーベルバーグ以降の映画作家。日本からでもDVDで観れる作品には『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』がある。

 本作 『オトン』の原作は戯曲であり、本作は舞台演劇である。舞台演劇を映画的に再現しようとしたのではなく、舞台演劇を映画内でそのまま再現しようとしている。個人的な感想を述べれば、その試みは失敗している。結果としての作品が失敗作というのではなく、試みそのものが失敗している。1969年という時代はヌーベルバーク的手法がドイツにも感染し、いわゆるニュー・ジャーマン・シネマなる運動が巻き起こり、ある種の実験や前衛が、アート・シーンにおいて熱烈に支持されていた。本作もその延長線上にある。多くの野心的な映画作家たちは旧来の手法とは全く違う、手法以前に、これまでの映画の文脈から抜け出そうと、新たな試みにこぞって向き合った。ストローブ=ユイレも然り。
 そういった意味での面白さを否定はしない。ローマ劇の眼下では車がクラクションを鳴らしながら走り去る、という光景はシュールであるし、69年という当時にあっては尚のこと、その現代と過去という文脈が混じり合う情景になんらかの示唆を感じることも出来たのかもしれない。 
 しかし身も蓋もないことを言ってしまえば、映画においては映画でしか再現できない物語を語るべきであり、演劇で再現可能なものを映画に置き換える意味は理解に苦しむ。仮に演劇の再現が映画で可能ならば、演劇という体系そのものの芸術としての独立性が疑われる。本作の印象としては、従来の映画手法に挑んだヌーベルバークやニュー・ジャーマン・シネマにあって、壊してはならない映画の核にまで踏み込んでいるように思える。ベンヤミンが言うように、映画内での演劇的なアウラ(オーラ)の再現は不可能だ。本作は実験として評価できても映画作品としては評価できない。

鉄人28号、新長田

鉄人28号、新長田

 神戸ドキュメンタリー映画祭については、残念ながら少ししか参加できませんでしたが、控えめながらも意欲的なプログラムを組んでいます。あと、最寄り駅の新長田駅には、鉄人28号がありますので、お見逃しなく。本映画祭の舞台となっている神戸映画資料館では他では観られない個性的な上映プログラムを組んでいますので、是非訪れてみてください。

 

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