【コラム】ニュースとは? 情報操作とは?【WP/WSJ】

先日、アメリカのアリゾナ州から下記のようなニュースが届けられた。

【2月27日 AFP】米アリゾナ(Arizona)州のジャン・ブリューワー(Jan Brewer)知事は26日、事業者が宗教を理由に同性愛者へのサービス提供を拒否することを認める法案に対し、拒否権を行使した。

伝えているのは世界第三位の規模を持つ、フランスの通信社「AFP」だ。日本語サイトも開設しており、なかなか日本で報道されない中東やアフリカ情勢も入念に扱っており、利用価値は高い。

そしてAFPの日本語サイトではこのニュースの見出しを【「同性愛者の入店お断り」法案を拒否、米アリゾナ州知事】という形で配信している。

現在アメリカでは同性愛者の権利を巡る論争が活発になっている。きっかけは2013年6月に連邦高裁が同性愛婚者にも異性婚愛者と同様の権利を保障するという判決を下したこと。この判決は「21世紀の公民権運動」の象徴としてアメリカに大きな流れをもたらし、その影響はアメリカ西部の保守的なアリゾナ州にも波及していることを、このニュースは示している。

同じニュースをアメリカのリベラルな新聞社「ワシントン・ポスト/WP」はツイッターで下記のように報じている。

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「速報:アリゾナ州知事が論争中の反同性愛法案に対し拒否権を行使」

AFP同様にニュースの主眼はアリゾナ州で議会を通過した法案が「反同性愛」という連邦法が認めた権利をないがしろにしたもので、「州知事が拒否権を行使してそれを退けたことにある。ワシントン・ポストとAFPの報道内容は同じだ。

そしてこのニュースを伝える別のツイッターを下記に紹介する。

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「速報:アリゾナ州知事が宗教の自由に関する法案に対し拒否権を行使」

この短文速報は同じニュースを報じている。しかしウォール・ストリート・ジャーナルではこのニュースの肝となるはずの「反同性愛」という文言が「宗教の自由」へと置き換えられているのだ。つまり同性愛者へのサービスを拒否することは宗教の自由として保障されている考えているように読める。

ウォール・ストリート・ジャーナルは経済紙として新自由主義の立場にあり、それはアメリカの共和党の経済政策と非常に近い。ブッシュ前大統領の度重なる失政に際しても一貫して擁護の立場をとってきた。そして思想的には保守的であり、キリスト教保守とも呼応している。

報道には常に欺瞞が寄り添っている。それが右であれ左であれ、情報とはそれが伝えられるときに特定の思想信条によって操作されている可能性があるし、実際にされているのだ。ニュースを享受する我々の判断の隙間にはこういった形で無数の恣意的な操作が加えられている可能性がある。

朝日新聞が憲法改正に反対する時、読売新聞が集団的自衛権に賛成する時、対立軸を跨いだ問題のニュースが我々のもとに届けられる時、それはすでに「生」の声ではなくなっている可能性がある。

もはやニュースの信頼性とは、伝える側の倫理に期待するだけでは担保されることはないのだろうか。だとするならニュースを受け取る側があらゆるニュースを疑ってかかる必要がある。それができない人々は、知らず知らずの間に自分が意思を持たない藁人形へと変容している危険性を孕む。藁人形になりたくなければ、一切のニュースを拒否するかそれとも疑い続けるか。

今回の報道の差異に関して、ツイッターという文字数が規制された媒体でおきた特殊な事例とやりすごすことも出来るかもしれないが、多様な情報プラットフォームを喜んで享受する現代にあってはそれを特殊と片付けることはもはや無意味な反論に思える。

バラ色に思えた情報化社会とは案外面倒臭いものだとイヤになってしまうのは私だけかな。

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参照記事:AFP

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