フロアーで聴きたいジャズ、『Amen/Donald Byrd アーメン/ドナルド・バード』

 ジャズという音楽が小難しいものになってしまったのはなぜだろう?

 コルトレーンエリック・ドルフィーの音楽を、机に肘をついて宙を睨みつけるようにして聴くという行為が“ジャズ”になってしまったのは、一体いつからなのだろう?

 ずっと疑問だった。
 学生だった頃、大学近くのジャズ喫茶でコーヒーを飲んでいる時にリクエストを聞かれた。ドナルド・バードの『Places and Spaces』をお願いしたら、いかにも頑固そうなマスターに「そんなもんジャズじゃない」と言われて無視されたことがある。代わりにエリック・ドルフィーの『Out There』がターンテーブルに載せられた。わざと崩したような演奏で、とにかくリズムが取りにくい。小難しいなと思った。その時はジャズを聴きだしたばかりだったから、そんなもんかと別に気にも留めなかった。でも、もし今同じような状況になればきっとこう言い返すだろう。

 踊れもしないジャズは、ジャズじゃないね。 

 今でもよくジャズは聴くし、ようやくエリック・ドルフィーもコルトレーンもコールマンも、好きになれた。でもやっぱり私が聞きたいのは踊れるジャズだ。聴くだけで思わず体が動き出す。ショッピングモールなんかでふいに流れたりすると思わず余計なものまで買ってしまいそうになる、気分がふわふわと浮き上がるようになる音楽。
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 ドナルド・バードが今年(2013年)のはじめに死んでしまった時は、またか、と思ってがっくりきた。ほとんど残されていない50年代のジャズシーンを最前線で引っ張ったジャズメン。もう彼らはみな死に行くだけだ。
 彼、ドナルド・バードはとても革新的なミュージシャンだった。50年代をハードバップの真ん中で過ごし、 60年代にはコーラスとジャズの調和をめざし、70年代にはファンク・スタイルを取り入れ、後のクラブ・ジャズシーンになくてはならない存在となる。また同時にコロンビア大学で黒人の権利問題を学び、マイルズやミンガスとは違った形で、黒人問題と関わっていく。なんというか器用な人だった。だから80歳まで生きれたのだろう。50年代にジャズミュージシャンだった人間が80歳まで生きるということは、ほとんど奇跡に近い。
 そして彼の音楽は、ジャンルが変われど、とにかく踊れるのだ。

 この『Amen』という曲は1959年の『Fuego』というアルバムに入っている。ハード・バップの名盤に数えられる一枚だが、この曲だけは場違いにポップで踊りやすい。とにかくこのアルバムはよく聴いた。特にジャズを聞きはじめた頃、コルトレーンやマイルズの『Kind of Blue』が他のみんなが言うようにはピンとこなかった頃、ほとんど毎日このアルバムを聴いていた。そしてアルバムの最後の曲でこの『Amen』が流れると、よしもう一周、という気分になった。

 ドナルド・バードは特に70年代に入ってからは、止めどなく難解になるジャズシーンから離れ、ファンクへと代替わりしていたジャズの“踊り”の要素をしっかりと掴む。ジャズとファンクというのは親父と息子みたいなもので大抵は仲が悪いのだが、バードは持ち前のインテリジェンスでその辺の捩じれた感情を乗り越えてしまう。
 きっと前述のジャズ喫茶のマスターはこういった傾向を嫌ったのだろうけど、語り継がれることでしかジャズが生き残れないとするのなら、バードの音楽は、今なお世界中のフロアーで踊り続ける人々の脳髄に響き続けている。
 そしてこの『Amen』を聞く度に、今でも、骨髄反射のように、体が動き出す。
 これこそがジャズだと思う。

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1 個のコメント

  • 僕もamen大好きです!
    そんな思い出があったのですね。
    興味深く拝見させていただきました(o^^o)

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