本『シカゴ育ち』スチュワート・ダイベック著

 “旅の本”にはふたつの本がある。ひとつは旅について書かれた本。もうひとつは旅に持っていくのに丁度いい本。今回紹介する本は後者。『シカゴ育ち』は旅に持っていきたい本だ。理由はいくつかある。まず短編集であること。旅行中の隙間の時間を埋めてくれる。バスを待っている時、レストランで料理がくるまでの時、ひとりの手持ち無沙汰を紛らわしてくれる。そして文章が美しいこと。簡潔な文体だがとても映像的で良質のショートフィルムを観ているような気がする。そしてノスタルジーが淡々と描かれていること。

The Coast Of Chicago,Stuart Dybek

The Coast Of Chicago,Stuart Dybek

 本著は“長い短編小説”と“中くらいの短編小説”と“短い短編小説”の3つにより構成されている。その多くが過去のシカゴを舞台に語られている。もう過ぎ去って戻ることのない時間や場所について、ことさら大袈裟に感傷することなく振りかえる。すべてが良質の短編ながら特にすばらしいと思う3編を紹介。

 ファーウェル;短編集の最初に出てくる一編。ある青年が大学教授のアパートを訪れることを描いており、とにかく美しい描写が印象的。雪の降り積もった郊外の通りを街頭が照らしている様がこれほどないまで叙情的に描かれている。教授のアパートには本が高く積まれ、壁には近くの美味しいパン屋に印をつけた地図。過去の想い出というのはひたすら淡々と語ればまるで夢の情景のようになることがよくわかる。

 熱い氷;映画『スタンド・バイ・ミー』を彷彿とさせる少年たちの危険な冒険。行き場のないエネルギーと感情を抱えていたあの頃を、不思議な事件とともに淡々と振り返る。当時は身近にあった様々なものたちが、時間の経過とともに自身の立場もゆっくりと変わってしまうことでいつの間にか遠くの存在に変わっていってしまう様が丹念に描かれている。

 ペットミルク;短編集の最後の一編。別れの予感が満ちあふれた切ない一編。あらゆる関係がさよならの引き延ばしでしかないのならせめてこれほどまでに美しくあってもらいたい。今の幸せであるほどにやがて訪れる終わりを感じてしまう。そしてこれまでの別れすべてがコーヒーの渦の模様のようにしてゆっくりと浮かびあがる。ペットミルクがコーヒーに溶けていく、ただそれだけの現象にいったいどれだけの物語がつまっているのか。そしてすれ違った電車から見たひとりの少年の姿に過去と現在が繋がっていく。

 本作『シカゴ育ち』は柴田元幸訳のなかでも特に名訳だと思う。ご本人も本作が翻訳していてとても一番楽しかったと述べられているが、外国作品独特のトーンをここまで再現できてしまうのは翻訳家と力量だ。読みやすくて同時に味わいも深い。ダイベック著、柴田訳のコンビはお互いの作家性の相性がとてもいいように思える。短編小説のすばらしさが詰まった作品集です。

スチュアート・ダイベック著 柴田元幸訳 『シカゴ育ち』

 

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