映画 『The Place Beyond the Pines プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』レビュー“主人公なき血の物語”

『The place beyond the pines プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』

 前作『ブルー・バレンタイン』で世界中の悩める男たちをさらに悩ませたデレク・シアンフランス監督が再びライアン・ゴズリングとタッグを組んだクライムドラマ。競演は『世界にひとつのプレイブック』のブラッドリー・クーパー、ライアンの実生活でのパートナーでもあるエヴァ・メンデス、レイ・リオッタ、ベン・メンデルソーンなど。 place-beyond-the-pines-Ryan-Gosling ストーリー;全身タトゥーのルーク・グラントン(ライアン・ゴズリング)はバイクスタントマンとして各地を転々とする日々。そんなある日、彼の前に昔の恋人ロミーナ(エヴァ・メンデス)が現れる。言葉を呑み込むようにして何かを隠しているようにに思える彼女だったが、後日ルークは彼女の母親からロミーナが自分の子供を産み育てていることを知る。そして自分の息子の洗礼式を遠くから見るに、彼はともに子供を育てることをロミーナに申し出るが、一文無しのスタントマン、偶然出会ったロビンと言う男に修理工としての仕事をもらうもその日暮らしに変わりはなく現実的に家族を養うことは不可能だった。 the-place-beyond-the-pines-movie-photo-22

 ある日、ルークはロビンに窮状を訴えると手早く金を手に入れる方法としてバイクを使った銀行強盗を持ちかけられる。そしてルークは最初の銀行強盗に手を染める。そして要領を知った二人は銀行強盗を繰り返し、ルークも金回りがよくなる。そんなある日、子供用ベッドをロミーナの家に送り届けたルークはロミーナの同居相手のコフィと鉢合わせになり、彼の顔面をレンチで殴りつけてしまう。収監されるルーク。やがて保釈されたルークはロビンとも別れ一人で再び銀行を襲うも、逃走中に一人の若い警察官エイブリー・クロス(ブラッドリー・クーパー)に追いつめられることになる。一軒家に逃げ込んだルーク、追いつめるエイブリー。
 これまで交差することのなかった二人の男の運命はそれぞれの周辺を巻き込みながら、やがて父と子の二世代わたる葛藤を生み出すことになる。
aa63ccbf

感想;映画の幕が下り、キャストを紹介するエンドロールが「in order of appearance(登場順)」という注意書きとともに流れるになってもすぐには席を立つ気にはならなかった。やられてしまった、というのが率直な感想だった。もちろんこの映画を見る前に海外の映画採点サイトもチェックしこの映画の評価が、標準よりは高いが絶賛には届かない、というものだったため油断していたということもある。加えるに二時間半近くもある上映時間で途中に冗長さを感じるシーンもあった。にもかかわらず終わってみれば放心状態、何も考えたくないとでも思っているつもりなのだろうが実は頭の中ではついさっきまで繰り広げられていた物語が何を意味するのか、自分にとってどういった意味を持つのか必死になって考えている。まるで終わったばかりの物語のなかに自分の姿を捜すようにもう一度振り返らずにはいられなかった。
 まずこの物語に主人公はいない。これははっきりしている。ライアン演じる刹那的なバイクマンも、ブラッドリー演じる上昇志向を持つ新米警官も、そして映画の後半で描かれるその二人の息子たちも、誰もがこの物語の核心ではない。彼らはこの物語上あくまで文字通りの俳優でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。彼らが体現するのは愛と罪、その両方によって狂わされた歯車の運動でしかなく、物語の核心にあるのは一見すると愛とも罪とも無関係に思える、致命的なまでに受け継がれていく“血”の痛みである。そしてその本作の主題である“血”の痛みを背負っているのは主要キャラクターだけでなく、異常に怖い警官を演じるレイ・リオッタも胡散臭い貧乏白人のメンデルソーンもすべての登場人物がこの物語の痛みを等分に担っている。ただ映画上で描かれていないだけで彼らの人生もまたルーク(ライアン)やエイブリー(ブラッドリー)同様に拭っても拭っても消えてくれることのない血の呪いによって汚染されているのだ。繰り返すがこの物語には主人公はいない。

怖いリオッタ

怖いリオッタ

※注意※ ここよりネタバレが含まれます。繰り返します。ネタバレ、注意。     やり直せると思っていた人生はやはりただの妄想だったと痛感したルーク(ライアン・ゴズリング)は自暴自棄の状態で初歩的なミスを抱えたまままた再び銀行強盗に走る。隠しきれない顔、勝手の違うバイク、それらの要因がルークの逃走先を袋小路へと誘い込む。そして巡回中だったエイブリー(ブラッドリー・クーパー)はとうとう連続強盗犯ルークをバイクから引きづり降ろすことに成功し、住宅地にある一軒家に追いつめる。そして人質をとることもせずに観念したルーク。流しのバイクスタントマンと将来有望な新米警官。決して交わることのない二人の人生は、その一軒家の二階の一室で、発作的に発射された2発の銃弾のように一瞬だけ交差する。一発の銃弾はルークの胸を撃ち抜きひとつの人生をあっけなく終わらせ、もう一発の銃弾はエイブリーの左腿を貫通し彼を英雄へと押し上げる。そしてここで流された二人の血はそれぞれの痛みの抱えて受け継がれていくことになる。 images-2

 15年後。エイブリーは望まずとも自身も関わることで知ってしまった警察内の腐敗を取引材料として出世するも15年前のことが忘れられない。
そして妻とも別れ、息子のA・Jは公立の高校へと転校する。そんなある日、A・Jが麻薬所持で逮捕されてしまう。そして同時に逮捕された別の少年の名前を聞きエイブリーは言葉をなくす。ジェイソン・グラントン。確か自分が撃ち殺した銀行強盗の犯人の名もグラントン。そして彼には自分と同い歳の息子がいたはずだった。A・Jは転校した学校でジェイソンと友人となっていた。それぞれの父親の因縁も知らずに。
 その事件がきっかけでA・Jとジェイソンは疎遠になるも、ジェイソンは交通事故で死んだと聞かされていた本当の父親が実は銀行強盗犯で警官に射殺されたという事実を知る。そしてその警官がA・Jの父親であることも後日とうとう知ってしまう。
 そしてジェイソンは決意する。血の呪いをここで終わらせることを。 images-3 自分の説明力不足を弁護するわけではないけど、この映画の核心は文章ではなくやはり映画でしか描けないように思える。この映画に心からの笑顔は出てきただろうか?序盤にルークがロミーナと赤ん坊のジェイソンと3人で写真を撮るシーンではロミーナは泣いている。銀行強盗を成功させたルークとロビンが犬を抱えながら踊り転げるシーンには笑顔はあるが破滅の予感も漂っている。その証拠にバックに流れる歌は『ダンシング・イン・ザ・ダーク』、ブルース・スプリングスティーンは歌う、「火花もなしに撃てはしないぜ、暗闇で踊っていてもこの銃は借り物なんだ」と。ラストにエイブリーは法務官のポストを勝ち取り笑顔で息子のA・Jと並ぶ。しかしその笑顔の裏の痛みを知ってしまっている我々はまだ何も終わっていないことを知っている。そしてただ一人その拭いきれない痛みと暴力的ではあるが自ら歩んで向き合ったジェイソンは笑顔を見せずにバイクに乗り記憶にもない父と同じような旅に出る。彼だけは父から受け継いだ血の呪いを血の絆へと昇華できたのかもしれない。 images-4 デレク・シアンフランス監督の前作『ブルー・バレンタイン』も物語内同様の痛みを見る側にも感じることを要求するものだったが、本作もまた痛い。前作は男女の関係という必然的ではあるが後天的でもある痛みに対し、本作で感じるのはそれぞれの意思を超えたアプリオリな痛みだ。ゆえに個人的にはかなりきつかった。これを書いている今は映画を見てから5日経っていてその間に2回鑑賞しているが、未だこの物語から抜けきれていない。やはりあの物語のどこかに自分がいるようで、それがなかなか見つけられなくて考え込んでしまう。かといって見なければ良かったとは全く思わない。我々に血が流れている以上、いつか向き合わなければいけない問題がそこでは描かれている。痛くて息苦しい映画ではあるが、この映画に出会う前はどうにもできないとだけ思っていたような不幸なことがすこし違って感じるようになった。本当に見てよかったと思う。最後にまた繰り返すが、これは特定の俳優を目的に見に行く映画ではない。 あなたもきっと感じたことがあるだろう、あの理不尽な苦しみの意味とその源流を知るために見る映画だと私は思う。

<スポンサーリンク>

The-Place-Beyond-The-Pines
関連記事!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です